武士の歴史 第2回

〜神 道〜

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 神道
 前回の勉強会で、武士道は八百万(やおよろず)の神々を祭る神道(神道に開祖は存在せず、教義も無い)的考えが主軸となり、仏教(特に禅宗)、儒教の考えなどを取り入れ完成されたことを話しました。
 そして武士道の起源に触れながら話を進めていきましたが、神道とは何かと問われると、これが神道だとはっきり答えられる人が少ないことに気付きました。神道的考えが軸となり武士道が生まれたのに、神道が解らないのでは武士道を語ることが出来ないことに気づき、そこで今回は神道についてお話します。
 武士道とは何かと考えた時、神道を抜きには出来ません。しかし仏教やキリスト教にはある程度の予備知識やイメージが湧いてくるのに対して、神道となるとよく解らない人が多いのは何故でしょう。それは、神道は宗教というにはあまりにも大雑把、よく言えば懐が深いからだと思います。神道には教義も経典もないので「神道は宗教ではない」という意見もある程です。神道には、神に関する基準がありません。人が「ここに神宿る」と思えば、そこが神聖な場所となり信仰の対象となるのです。また神道には教義がない為、信者となる条件もありません。
 日本人はよく、「無宗教」だと言われます。結婚式は教会や神社で行い、葬式はお寺で行う。正月、バレンタイン、お盆、クリスマス、何のためらいもなく全てを受け入れ楽しんでいるからでしょうか。日本人の、この何でも有りの態度は一神教の人からは、何と節操のない国民だと思われても仕方ありません。しかし、この姿こそが「神道」の本質なのです。
 私の友人でアメリカに住んでいるユダヤ人が「クリスマスの時にはアメリカ国中の人がお祝いをするが、我が家ではなにもしない。もちろん子供たちにもプレゼントを買って与えるようなことはしません。」といっていました。
 
 信仰とは、人間の力ではどうにも出来ない事柄に対し、「もしかしたら人間の力の及ばない、もっと凄い能力を持った存在があって、そのものが手を差し伸べ助けてくれるのでは」といった憧れの思いがまず根底にありあます。
 そしてその存在を感じた時に、畏怖の気持ちと、依存の気持が湧いてきます。この気持が信仰心です。数百年生き抜いてきた大樹に畏敬の念を感じ、手を合わせる。それと同じように、お寺や、教会、神社で何の抵抗もなく無意識のうちに手を合わせお参りする。これが日本人の宗教観です。「山川草木、形あるもの全てに神宿る」という考え方から八百万の神々が生まれました。ですからキリストであれ、お釈迦様であれ、八百万の神の一人に過ぎないのです。他の宗教の神様を受け入れることに何ら抵抗を感ぜず、一緒にお祭り出来る所以はここにあります。
 私たちは建国以前の歴史を「神代(かみよ)の時代」と呼ぶように、日本人は昔から「神」と共に生活してきました。お正月の初詣に何の抵抗もなく皆なこぞって参拝しお盆(神道による各種年中行事、お盆の項を参照)には故郷に帰り墓参りをする。このような行動を見ていると日本人はみんな神道の信者といっても過言ではないと思います。
 厳格な教義を持つ一神教を信じている国の人から見ると「そんな宗教はあるのか」と思うかもしれません。一神教の神は厳しく、複数の神は絶対に認めません。(だからいまだに世界各地で宗教戦争が絶えないのです)旧約聖書(ユダヤ教)のなかで、神であるヤハウェ(キリスト教のゴッド、イスラム教のアッラーは同じ神をさす)がモーゼに「あなたは、私のほかに、何者をも神としてはならない」「あなたの神、主である私は、ねたむ神である、したがって私を憎むものには、父の罪を子に報い、三代、四代にまで及ぼし・・・」(エジプト記二十章)と言うくらいですから。
 仏教は多神教に近いけれども、日本仏教の神仏融合のように他の神は認めず、仏教の信ずる神(仏)だけを認め重んじています。それに対して「神道」は、日本の文化・社会のなかで自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗宗教なのです。
 日本には春夏秋冬の四季があり豊かな自然に恵まれている反面、地震、雷、台風、豪雪など四季折々の自然の脅威にもさらされています。お米が実り、木に沢山の実がなり、魚が捕れる等の収穫や、嵐、雷、地震等の天災は全て自然現象による所ですが、日本人はそれぞれを司る神々のなせる業と考えました。「生きとし生けるもの、形あるもの全てに神宿る」という考えをもち、太陽が昇れば神と崇め、釜戸には火の神を祀り、雨が降れば雨の神に感謝をする。こういったところから日本独特の八百万の神々を祀る神道が生まれてきました。
 世界の多くの国々にある土着の宗教がそうであったのと同じように、狩猟生活を主としていた縄文時代には日本もアニミズム、シャーマニズムに近い内容の宗教でした。(縄文時代は紀元前一万年前後に始まり、前四世紀頃まで続き弥生時代へと移っていきました。)
アニミズム・・・自然界のあらゆる事物に神や霊が宿っており全ての物が礼拝の対象となるという考えの宗教です。山川草木、あらゆる自然現象、人間や動物の霊魂もまた崇拝対象です。
シャーマニズム・・・疫病、天災、等が発生した時に、それは神が怒り狂い天罰を与えているからと考えた。その時に特定の人の身体に神や霊がのり移りその者の口を通して神霊の意志を告げる。つまり人間と神、霊とが一体化することで神のお告げ、霊の迷いなどを知らしめ、人々の考えを方向付ける儀式を行う宗教活動をシャーマニズムという。儀式を行う人をシャーマンという。
 シャーマンとは自己催眠状態(トランス状態)のなかで、身体に別の神霊が取り憑いたり(憑霊型)、魂が身体から離脱して神霊界をさまよう(脱魂型)、霊感によって神の意志を告げる(預言者型)、などさまざまなタイプがあります。
 日本ではシャーマン的役割はおもに女性(巫女)によって多くおこなわれています。恐山の「イタコ」もそうです。日本で最も有名なシャーマン(巫女)は邪馬台国を支配していた卑弥呼です。
 シャーマンとは預言者であり、神や自然界の精霊、祖先の霊と交信し様々なメッセージを伝える役をする人のことです。宗教とはこの預言者を絶対視したところから生まれたものです。ブッダ、モーゼ、キリスト、マホメットなどもみなシャーマンです。
 弥生時代(紀元前四百年から紀元三百年ごろ)になると生活の基盤が稲作中心となり、農耕中心の宗教へと変化していきました。豊作を祈願する「春の祭り」と収穫を感謝する「秋祭り」が行われるようになりました。
 それに先祖霊を祀る行事が加わりました。冬至がすぎ山から祖霊が降りてきて草木が芽吹くのを祝う「正月」、五穀豊穣を願う「祈年(としごい)」、先祖の霊が山から下りてきて家に帰ってくる「お盆」(お盆は仏教伝来以前から神事として行われていた)、秋の収穫を祝う「新嘗(にいなめ)」、このようにして神道は形作られてきました。
 シャーマニズム的神道(自然崇拝)と共同体的神道(氏神、祖霊崇拝)とが調和して出来たのが日本の神道です。
 神道には体系的な教義や経典が無い代わりに、四季折々、節目節目に祭があります。これは共同体で生活している人達の気持ちを一つにして強い結束を生む役目を持っています。
 神道は「四季や自然を敬い、人間は神と共に生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら神と共に生きている。」という考えです。一神教の場合には神は絶対であり、共に生きるのではなく「すがる」存在です。
神道による各種年中行事
門松・・・豊作をもたらす神「歳神」が宿るものとして立てる。
ひな祭り・・・もともとは紙で造った「人形」を川に流しけがれを洗い流す。水はあらゆるけがれを洗い清めると信じられ、水によってさまざまな形で禊ぎが行われている。瀧に打たれたり、参拝者は手を洗う等も禊ぎの一例です。
お盆・・・仏事と思われがちですが、先祖の霊を祀る神道と仏教とが融合して現在仏事として行われるようになった。神道には「山中他界」といって、先祖の霊は里の近くの山に登り子孫の暮らしを見守ってくれる、といった考えがありました。そして正月やお盆の季節の節目に先祖の霊は子孫のもとに帰ってくるという信仰が生まれました。これは日本独特の考えです。印度仏教には魂の存在に対しての考えがなかったので葬儀を行う習慣がなかった。
 その他節分、七五三、お宮参り、元服(成人式)、厄払い、等々神事は私達が意識しなくても日常生活の中に深く関わっています。
祖(そ)霊(れい)
 人は死ぬと「死霊」となります。死霊は現世の怨念が残っており荒々しく災いをもたらす「荒御霊(あらみたま)」と呼ばれ、子孫に祀られることによって浄化されて「祖霊」に成ります。浄化され祖霊になるには三十三年から五十年かかるとされています。三十三回忌、五十回忌はその為に行われるのです。
 祖霊となった先祖の霊は、子孫が生活を営んでいる近くの山の頂きに留まり子孫の生活を見守ります。その霊を季節の節目に迎え入れるのが正月とお盆です。先祖が残した実績を多くの者が崇め敬う事により更に浄化されるとその者が「氏神」となります。その子孫を「氏子」と呼びます。この祖先の霊が遠くに行かずに近くの山に留まり子孫を見守るという考えは日本独特のものです。
 農耕を中心とする社会生活においては、農地を開墾し、春になれば種撒きし、秋に収穫をする。四季折々に様々な仕事があり、共同で作業をしなければ共同体として成り立たちません。荒れ地を開墾し、灌漑(かんがい)して収穫を得るには何代も引き継いで行われなければなりません。そこで同族の結束が必要となります。そして沢山の恵みを与えてくれる「自然」と大切な土地を開墾し、育ててくれた「先祖」への感謝が生まれ、先祖を守護神のように崇める風習が出来ました。そういう先祖を氏神さまとして祀るようになりました。
 
 人々が集まり村落が形成されると、その共同体を維持していくための決めごとが必要となっていきます。その決めごとを決める場所が神社でした。今では何処の神社にも神主がおりますが、これは明治維新以降のことであり、それ以前は地方のほとんどの神社では、住民の代表が集まって「宮座」と呼ばれる寄り合いをつくり、その中から「頭屋(とうや)」という世話役を選出して、持ち回りで年間行事を運営していました。つまり神社とは共同体の集会場の役割を果たす場所だったのです。
 組織を維持するには、外敵や天災に対処せねばならず、それには個人の利害関係を超越した奉仕の精神を第一に考えなくては成り立ちません。つまり公共的精神がなければ組織は維持出来ません。神道の基本的考えはここに根ざしています。 今の日本の社会が崩壊しつつ有ると言われる所以は、己人主義が蔓延し、この公共的精神が薄れたからです。
 神道の考えの基本は、身の回りのもの全ての御陰で日々の暮らしが成り立っていることへの感謝の気持ちです。そこから「お陰様で」と言った心根が生まれてきました。「いただきます」「ごちそうさま」など日頃何となく使っている言葉も神に対する感謝の気持ちを表しているのです。何時でも何処でも、あらゆるものに神様が宿って見守ってくれているからこそ安心して日々の生活を営むことが出来る。ここから日本独特の「生きとし生けるもの、形あるもの全てに神宿る」つまり「八百万の神」という考えが生まれました。
 神道には教義は無いが、みんなが守らねばならない約束ごとがありました。「命あるものを大切にする」「先祖に感謝し、手厚く祀ること」「自然の恵みに感謝し、大切にすること」「人々が助け合って生きること」などは神道独自の道徳観です。
 
 開墾技術の発達に伴い、人口が爆発的に増えてきました。それによって集落と集落との間隔が狭まり、いざこざが起きるようになってきました。そこで各村落は自衛の手段として武装するようになり、腕に覚えのある者が指導者となっていきました。ここに武士の原型となるものが生まれたのです。
 十世紀頃には武士が支配する村落が各地に多数現れてきましたが、当時日本を支配していたのは貴族達でした。武士の地位はまだまだ低く不安定で、貴族に対抗出来るだけの実力を備えていませんでした。
 武士が農民を味方に付け地方に根を張るためには、身を慎み、質素に生活し、農民に対して誠実に接し、いざと成ったら身を守ってやるという安心感を与える必要がありました。
 こうして農村の支配者となった武士達は、農民に尊敬されるために、農村で受け継がれてきた神道の掟に従い、庶民が重んじた神道の道徳に従って生きなければなりませんでした。ですから武士の日常の生活の中に自然と神道の考えが身に付き武士道の考えの中核となってきたのです。もともと、武士は農民の出身ですからこういった考えを受け入れるのに何ら抵抗は有りませんでした。
 武士道は、武士が庶民と共に生きていく覚悟の中から生まれました。そして、古くより受け継がれてきた日本民族固有の「神」の信仰に根ざした精神文化が核となり、武士道が確立されていったのです。
武士道とは、固有の宗教ではなく、歴史と伝統に育まれた日本の精神文化、道徳観の核をなすものなのです。以上
 
 

 

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