〜「気合と掛け声」〜

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 気合とは技の決まる瞬間、吐気と共に出てくる音のことです。内に充実したエネルギーが、心と技と体とが一体となった瞬間、繰り出す技と共に体の中から目標の一点に向けて突き進む気のエネルギーの爆発音です。 
  

 掛け声とは極めの技を伴わないで出す声のことです。掛け声には自分の気持ちを奮い立たせたり、相手を威嚇したりなど様々な使い方があります。
 
掛け声の種類
 1、自分の気持ちを奮い立たせる
 2、相手の気を迷わせる

 3、相手を脅かす

 4、相手の気をくじく
 5、相手を手の内へと誘い込む
 6、相手と調子を合わせる
 など、様々な状況での掛け声というものがあり、目的によって掛け声も様々に変化します。声の大小、長短、高低など、その場その場の状況によって臨機応変、自由自在、変化に富んでいなければいけません。

練習中に大声で気合を出させる理由

 気合と言うものは、無意識の内に出る気の爆発音ですが、初めからこの様な気合を出せと言ってもしょせん無理なことです。ですから気合も初めは掛け声で良いです。とにかく技を繰り出すと同時に大きな声を出すように心掛け練習することです。初めは恥じらいがありなかなか大声を出すことが出来ませんが、大声を出すことにより雑念がうち払われ、練習に気持が集中してきます。
 私なども、空手を指導する時やはりその日の体調などによってはなかなか気分が乗らない時がありますが、そのような時には普段より一層大きな声で号令を掛けます。そうすることにより今まで乗らなかった気持が段々と乗ってきてその気持が練習生にも伝わり、お互いに気合いの入った良い練習へとなっていきます。これなどは、掛け声の中の「1、自分自身の気を奮い立たせる」に属します。
 このように、初心者はまず大声を出し、自分の気持ちを奮い立たせ、気を集中させることにより、繰り出す技に命が通い生きた技へと転化します。意識して声を出している内に、掛け声が段々と気合に近づいてきます。そうすると技にも少しずつ気が入るようになり、切れ、スピード、力強さなどが今までとは格段の違いとなって表れてきます。繰り返し練習しているうちに段々と意識しなくても、無意識の内に声が出るようになり、それが本物の気合へと転化していきます。

気合とは

 特に子供の大会などで多く見受けられますが、語尾を何時までも長く伸ばして気合を入れている者がいます。しかし昔の武人は「電光石火」【注1】「裂帛(れっぱく)」【注2】のごとき気合を目指し修行に励みました。
 【注1】稲妻や火打ち石の火花のように、極めて短い時間。瞬間的な早業
 【注2】絹を引き裂くときに発する短く鋭い音
 「エィ」「ヤァ」「トゥ」など、気合として発する音は短いです。これが3っ以上の音あるいは言葉を用いたならば気が抜けてしまい気合にはなりません。その点掛け声には「イクゾ」とか「サァ、コイ」などと言葉を用いる場合も多々あります。もちろん掛け声にも「エィ」「ヤァ」「トゥ」など用いる場合もありますが、先に述べてように気合と掛け声との違いは出した声と同時にそこに技が伴っているかいないかと言うことが関わってきます。もちろん掛け声の時にも技を伴う場合も有りますが、技が伴っていてもその技は「虚」の技であり、「実」の技ではありません。
 以前私が指導に行ったある国で、形の練習中、形の気合の入れる所で全員が変な言葉を発しているので、何と言っているのかとよく聞くと「キアイ」と言っているのには驚きました。これなどは以前来た指導員が「気合いを入れろ」「気合」「気合」という言葉を聞き、ここの所では「キアイ」と言うのだと思いこみ「キアイ」と気合を入れていたようです。これなどは笑い話ですが、世間では往々にして気合というものをよく理解して居らずただ大声でわめき散らすことが気合だと勘違いしているふしも有ります。先に述べたとおり気合とは短く、鋭く、切れのあるのが気合です。

有声の気合と無声の気合

気合には有声の気合と無声の気合があります。有声の気合に関しては今まで述べてきましたのでお解り頂けたかと思います。
 無声の気合ですが、これは音を発せずそれでいて充分相手に強い気を感じさせ、破壊力、気迫ともに充実した技のことです。これなどは上級者になれば自然と出来るようになります。
 試合などで有声の気合のない技を取らない審判員をたまに見受けられますが、声などにごまかされず、しっかりと選手の繰り出す技を見極められるようにならなければいけません。
(注)ここで言う所の気合は、あくまでも武道においての気合であり、他のスポーツでは、気合の目的、呼吸の仕方、筋肉の使い方などがそれぞれ違いがあり当然気合も異なってきます。
瀬戸塾新聞21号掲載記事(2005,5)

 

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