〜「三つの先」〜

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 試合などを見ていると監督が「先を取れ」とか、「先を押さえろ」などと言った言葉を叫んでいるのをよく耳にする事と思います。では、この「先」とはいったい何を意味しているのでしょうか。
宮本武蔵が書いた「五輪の書・火の巻」に「三つの先と云う事」として次のように記されています。 
 『三つの先、一つは我が方より敵へかかる先、「懸(けん)の先と云也。」亦一つは、敵より我の方にかかる時の先、是は、「待(たい)の先」と云也。又一つは、我もかかり、敵もかかりあふ時の先、「対(体)々の先」と云。是三つの先也。いづれの戦初めにも、此三つの先より外はなし。先の次第を以て、はや勝事を得る物なれば、先と云事兵法の第一也。
 
(訳)先 には、三つの先が有り、一つは自分から敵に攻撃をして取る「先」 これを“けん(懸)の先”仕掛ける先と言い。一つは敵の方から攻撃してき たときにとる「先」これを“たい(待)の先”待って取る先と言う。もう一 つは、自分からも攻撃をし、敵も攻撃してきた場合のとる「先」これを“対々の先”と言う。これが三つの先であり、どの戦いの場であっても、戦いの 始まりはこの三つの場合より外にはありえない。先の取り方しだいで勝利を 得る事が出来るのだから、「先」と言う事が兵法において元も大切な事である。』
 では、この三つの先とはどのようなものかを具体的に説明します。現在では、武蔵の言うところの「三つの先」を別の言い方で言っています。
  ・「懸の先」を「先」または「先の先」
  ・「待の先」を「後の先」
  ・「対々の先」を「先々の先」と言っています。
1)先、先の先 ・・・ しかけ技
 先とは自分から仕掛けて勝ちを制するしかけ技のことです。
 ●気を張りつめ、チョットでも動けば攻撃をするぞ、出て来れば突くぞ、といった気迫で相手を圧倒し、少しでも隙が生じたならば瞬時に攻撃をする。
 ●相手の心が定まらない内に間合いに入り込み瞬時に攻撃をする。
 ●静かに構え、相手もその構えに対し気を許したその気のたるみに乗じてにわかに、素早く攻撃をする。
 ●静かで重圧のある気で相手を押さえつけ押しまくる。
 など外にも色々な状態が考えられますが、ようするに「先」とは、相手に攻撃の態勢が整はない、あるいは整はせないようにさせ、先んじての攻撃であり、先制攻撃の事です。
2)後の先 ・・・ 応じ技 
相手に攻撃をさせ、相手の攻撃を捌くと同時に反撃をする、あるいは相手が攻撃を仕掛けてきたときに、それよりも強く、素早く出て極めるなど、いずれにしても動き出すのはあくまでも相手が先であり、その相手の攻撃を捌き、あるいは殺して先を取る方法です。
  後の先はいかに気押されせず落ち着いて相手の動きを見る事が出来るかとと言う事が大切な事です。
  動きとしては、相手の動きを待っているが、ただ待ているだけでは相手の動きに付いていけず後手、後手となって負けてしまいます。
  後の先で最も大切な事は、気で押して行き、相手に精神的プレッシャーをかける事です。精神的プレッシャーに耐えきれなくさせ、いやいや技を出させるようにさす事です。そのような状態から繰り出す技は威力もスピードも半減します。
  同じ気で押すと言っても、激しい気で押しまくる方法と、静かで相手に気を感じさせず、相手の気を呑んでかかる方法とが有ります。
  相手の気を呑んでかかった場合には、わざと隙を造り、相手に突きたい気持ち、蹴りたい気持ちを起こさせ相手に技を出させる方法です。
  いずれにしても気後れしないと言う事が大切であり、気後れしたならば「後」を「先」に転化する事は出来ません。
3)先々の先 ・・・ 気の出合 
 これは、相手の気の起こりを捉えることです。相手が、突こう、蹴ろうと思った瞬間、体の動く前の一瞬、気の動きを捉えることです。気の出合を取ることです。
  相手の「突き」の‘ツ’「蹴り」の‘ケ’を感じた瞬間にはもう相手の懐に飛び込み攻撃を加えることです。
  現象面で捉えたならば一見「先」のように見えますが「先」と「先々の先」との違いは相手の気の動きによって決まります。相手が攻撃をする気が整はない内に打ち込むのが先であり、相手が攻撃をする気があり、その気が充分に満ち攻撃をしようとする瞬間を捉えて攻撃をするのを「先々の先」といいます。つまり、相手の攻撃を予知し起こりを捉える技のことです。
 同レベルの者、あるいは格が上の者と対峙したときには相打ちを覚悟して行わなければなかなか先々の先は取れるものではありません。
 三つの先は、いずれも如何に先を取るかの気の駆け引きを意味しています。まだ相手の体勢が整わないうちに一気に攻撃をして勝ちを得る「先」がなんと言っても一番良いのですが、それが非常に難しい。攻撃をするということは構えを崩すことであり、そこに隙が生まれます。先を取ったつもりで攻撃しても、かわされれば次の瞬間相手にとっては最も攻撃しやすい態勢となり逆に先をとられます。
 動きによって崩れた構えの隙に乗じて取る先、これが「後の先」です。先を取ったつもりが本当は相手にそう思わされ、うかつに攻め込み動きの乱れに乗じて攻め込まれ、攻守入れ替わるのです。先が取れそうな気がしても本当は相手にそう思わされているのかも知れず、うかつに攻撃をするとかわされ、たちまちのうちに相手にやられてしまうかもしれないと言った心の迷いが生じ、なかなか先というものは取りにくいものです。
「平常心」
 人間、無心で勝負に臨めれば良いのですが、どうしても勝負に臨んだときに相手に対し‘驚き’‘恐れ’‘疑い’‘戸惑い’といった迷いが生じます。この迷いを「四病」と言って武道を学ぶ者にとっては最も戒められています。この四病が生ずると自分の気持ちが自由に動かなくなり、体も強張り、気ばかりが焦り、相手のペースにはまっていきます。
 位が下の者が上の者と対峙し、今がチャンスと思ってもなかなか攻撃できないのはこの四病が生ずるからです。どうしても位の下の者は位の上の者に対して、気後れし、疑心暗鬼になり気の迷いが生じ、余分なところに力が入り、気はうわずり、体のリズム全てがバラバラとなり、いわゆる、心・技・体が一体と成らず中途半端な技しか出なくなってしまうからです。
先を取るときの心構え 
先を取るには、まず勝つことだけを念頭に置くことです。負けることは一切考えないことです。こうすれば勝つ、あゝすれば勝つと常に勝つことだけを考えることです。そうすることにより相手の弱点も見えてくるようになります。しかし、ただ勝つことだけを考えガムシャラに突っ込んで行けばよいかと言うとそうではありません。勝とう勝とうと気勢い過ぎると、相手の動きが見えなくなります。勝ちを急ぎすぎると自分の体制がととなわないうちに攻撃をし、結局心も技も整はず乱れ、全てが空回りをし容易には勝つことが出来ません。
 勝つには、勝つ為の法則があり、勝つ為の道理があります。法則を無視し、道理をわきまえず勝つことは出来ません。
 武蔵は先を取る心構えとして、『我、かかる時の先は、身は懸かる(かかる)身にして、足と心は中に残し、たるまず、張らず、敵の心を動かす。是、懸の先也。(兵法三十五箇条書)」
 (訳)身は何時でも攻撃できる態勢にして置きながら、足と心はたるませず、緊張させず、中程におとし落ち着かせ、そして敵の心を迷わせ、動揺を起こさせる。これが、懸の先である。』
 心が懸かりとなると心が走りすぎ、体の余分なところに力が入り、うわずってしまいます。突こう突こうと強い気持ちで突いた突きは荒っぽくなりスピードも力強さも失われてしまいます。
 人間の体というものは、身はゆったりと柔軟かつ張りを持たせ心を丹田に置き、気を張りそして自由に解き放たなければ瞬時の出来事に対して俊敏に対応出来ないものです。
 
無心の先 ・・・ 自由な気の扱い 
武道というものは相手に勝つと言うことも大切ですが、それよりも負けないということの方がもっと大切なのです。相手にも負けず、自分にも負けない。敗北が無いという事は、勝ちにつながることなのです。「無心の先」これは相手の気の動きに乗って行く事です。強く気で押してきたならば、さっとその気を包み込み。気を引けば、引いた気に乗って相手の心の中に入り込んで行く。押さば引き、引かば押し、相手の動きと調和しその動きの中から相手の呼吸、間、リズムの狂いを見いだし攻撃を加える。攻撃も自然の流れの中での攻撃であり、自分のリズムの中での一環としての動きであり、決して無理な体勢からの攻撃であってはならない。
 この時の心構えですが、負けまいと思ってもいけませんし、勝とうと思ってもいけません。負けまいと思った瞬間に気持ちが受け身になり気押されします。勝とうと思った瞬間に心は勝つことに拘り心に自由が無くなります。心は自然のなすがままの状態でなければいけません。そしてこれらの全ての動きは無意識の内に行われなければいけません。

 このような、「無心の先」と言うものは「先」「後の先」「先々の先」がしっかりと身に付いた後でなければ修得出来るものではありません。まずはしっかりと「三つの先」の練習に励むことが大切です。「三つの先」を常に心がけて修行に励んでおれば自然と身に付いてきます
第6回勉強会(03/4/5)

 

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