〜コラム「有名人が及ぼす社会的影響」〜
瀬戸塾師範 瀬戸謙介有名人、特に一流のスポーツ選手の言動や行動は、善として美化して素晴らしいかのように持ち上げてテレビや新聞で報道されますが、そう言った報道の姿勢に私は少し疑問を感じます。 |
以前サッカー選手のベッカムが日本に来て都内の小学校を訪問したことがあります。その時、訪問した先の校長先生を始め学校の教職員は本当に嬉しそうに校門まで出迎え、そしてベッカムが子供たちの前で挨拶をしました。憧れのベッカムを目の前で見た小学生達がマスコミのインタビューに対して目をきらきらと輝かせ喜びを身体全体で表わしながら答えている場面をニュースで見ました。私はそのニュースを見た夕方に中学校の先生に会う約束がありそのニュースの話をし、 「ここの中学校にベッカムが来ると言ったらどうしますか」と聞いたところ、 「一流の選手というのはとても子供たちに影響を与えます。あのような素晴らしい人に会うことはこれからの人生に大変プラスになるからもし来てくれるのならば是非呼びたい」と言った答えが返ってきました。 |
一般的に一流選手が周りに与える影響については、全てプラスのように捉えがちです。たしかに有名人という者は良い面で影響も与えますが、悪い面でも周りに多大な影響を与えるということも考えなければいけません。 特に子供たちにとって一流選手の一挙手一投足、全ての姿、形は憧れの的です。ましてや校長先生が率先して出迎え、教育現場である学校に迎え入れたのですから、子供たちは何の疑いもなく手放しで感激し、彼の姿を心の中に刻んだことと思います。しかし彼の当日の出で立ちは、腰までずり落ちたジーパンにTシャツ。シャツから出た腕には入れ墨がしています。恐ろしい事に、入れ墨も含めたこれらの姿全部が子供たちにとって「カッコいい」と写るのです。子供の前で、堂々と入れ墨を露出することを教育現場である学校が許した、その社会的な意味は相当大きいと思います。それを見た子供たちは当然入れ墨も格好良く思うし、チャンスが有れば自分もベッカムのような入れ墨を入れたいと思ったとしても不思議ではありません。 一流のスポーツ選手は過酷な練習と物凄い努力により高度な技術、体力を身に付け栄冠を勝ち取った。だから精神面においても強く、その分人間的にも素晴らしい人格が備わっていると考えられがちです。確かに辛さに絶え過酷な練習をする事で精神的に強くなるのは間違いないと思います。しかしいくら過酷な練習に耐え、精神的に強くなったとしてもそれは人格的に素晴らしい人間であることとは全く別問題です。強い精神力は悪党でも持っていることを自覚すべきです。培った強い精神を良き方向に向けるか、悪い方向で活かすか、これは本人の心掛けしだいです。一流選手の技術や動き、これらにはとても素晴らしいものがあります。その技術に関して感動したとしても、その人の人間性とは別物なのです。教育とはそういう重要な事をキチンと見極めて行わなければ、とんでもないことになりかねないのです。 |
多くの親は「礼儀、精神力を身に付けさせたい」という動機で我が子に空手を習わせます。しかし空手を習い腕力も精神力も強くなったお陰で世の中から鼻つまみ者になっている一流の空手家を私は沢山知っています。いくら体力、技術を身に付けてもそれだけでは人間として成長しません。人間として最も大切なことは、まず立派な人間になろうといった意識を持つことです。そして立派な人間とはどのような人間なのかを学ぶことです。その為には勉強しなければいけません。勉強し知識を蓄え、判断力を養い、見識を高めることです。その為に毎月一回日曜日に七中の図書館で勉強会を行っています。是非多くの子供たちに参加して欲しいと思っています。 以上 |
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