「社会に出る為の覚悟」

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

於:東北工業大学 2005年12月15日

 ※就職活動、卒業を目前にした三、四年生を対象に講義した内容を全掲載します。
 
 皆さんは就職活動を始める前に、「自分が何に向いているの
か、本当に自分がやりたいことは何なのか、この仕事に就くことによって自分の夢が叶え
られるのか、実力が発揮出来るのか」という事を決めてから活動すべきだと思っていませんか?

 君達は、子供の時から両親や先生達に「一生打ち込める仕事、自分に向いた仕事に就くことが一番幸せなのだよ。」と言われてきませんでしたか?
 まだ好きなことや本当に自分がやりたいことが見つからない時に「一生打ち込める、自分に向いた仕事を見つけなさい。」と言われると、果たして自分に向いている仕事とはいったい何なのか、もしも自分に向いていない職業に就くと不幸になるのではないか、と思い込みにっちもさっちも身動きが取れなくなります。そうなると、フリーターとなって「自分探しの旅」に出かける人がでてくるのです。
 もちろん、就職活動をするさいに、自分が何に向いているのか、本当に自分がやりたいことは何なのか、この仕事に就くことによって自分の夢が叶えられるのか、実力が発揮出来るのかなど、真剣に考えることはとても大切なことです。しかしこの事にあまりにも拘りすぎると、却って就職活動に於いて障壁となり、間違った方向に行きかねません。
 特殊な人間、俗に言う「天才」、あるいは「この仕事こそが俺の求めている道だ」と固い決意で突き進む人もいますが、多くの人は実際に経験したことが無い事に対して自分にそれが向いているかどうかなど分かるはずがありません。今、社会で働いているほとんどの人は、就職する前に漠然と「出版社に就職したい」[IT関連会社に就職したい」などと思っていたとしても本当に自分のやりたい仕事が何なのかはっきりと分かっていた人などいなかったと思います。
 偶然や何かの縁でその会社に決まり、一生懸命仕事をしていくうちに技術や能力が身に付き、その道で一目置かれるようになると、「私の天職はこれだ」と言えるようになるのです。
 ですから今の時点で自分のやりたい仕事がはっきり分からなくても気に病む必要はありません。経験してみて初めて楽しさや辛さが分かるのです。経験したことの無いことに対してはっきりとした動機、意思など生まれてくるはずはありません。
 今の皆さんにとって最も大切なことは、就職をすると言うことはどういうことなのかをはっきりと自覚し、それに対してきちんとした心掛けを持つことなのです。

 就職とは、 就職とはまず経済的に自立する事 

 経済的に自立し、周りに負担を掛けないことです。今まで君達は両親に学費や
食費、生活費を出してもらってきました。これからは生活にかかる全ての経費を自分で賄うのです。
 今まで身に付けてきた事全てが実践の場で試される場

 君達は今までさまざまな環境、境遇で育ち、知識や教養を身に付け、そして一人の人間としての人格が出来上がってきました。就職とはその人格が試される場なのです。
 君達がこの、二十数年間どのような考え、志しを抱いてきたかによって君達の質、考え方等が形成されて来ました。高い志しを抱いて生きてきたのか、それともその日暮らしのだらしない生活をしてきたか、その君達の質、人品(人間としての品格)が問われるのです。
 今現在有る君達の姿、置かれている立場は過去の積み重ねによって現在があると思っていませんか?
 もちろん、君達の今までの経験によって今の君達が出来上がってきているのは間違い有りません。しかし今ある君達の姿は決して過去の経験の蓄積だけによって形成されたものでは有りません。君達の現在置かれている環境は、君達が自分の未来に対してどのような思いを持っていたかによって君達の現在の居場所が決まっているのです。イチロー選手や松井選手も小学生の時からプロ野球の選手になりたいと夢を見、その夢を実現させる為に日々努力し、その結果、現在があるのです。自分の将来に対しどのような志しを抱き、その志しに向かって努力するかそれによって君達の現在が決まります。
 君達は決して過去に支配されているのではなく、君達が未来に対してどのような思いを持つか、その未来によって支配されていると言うことをしっかりと肝に銘じてこれからは行動すべきです。君達の人生は、君達の未来に対する思い、志しによって支配されていると言うことをしっかりと胸に刻んでおくことが大切です。

 恩返し(親、社会に対して)
 
 君達は社会に対して今まで役に立ってきた人間だと思いますか?実は君達はまだ社会に対して何の貢献もしていないのです。その君達を一人前の大人にする為に、まず第一に君達の親、そして社会が多大な投資をしてここまで育ててくれたのです。ですから君達は親に対し、社会に対して感謝の気持ちを持つと同時にその恩に報いる為に一生懸命働き社会に貢献し、親孝行をしなければいけない義務が有ります。
 就職し世の中に出るということは決して楽な事ばかりではありません。しかし苦しいからといってこの現実から逃げ出すことは出来ません。君達の居場所はこの現実の社会の他にどこにも無いということを覚悟することが大切です。命有る限り、この現実の社会から顔をそむけ、逃げ出すことは出来ません。逃げ出すことの出来ない社会ならば、その世界でより有意義に過ごすにはどうすれば良いかを考える事が大切です。それには専門の実力を付ける以外に有りません。実力を付け、その業界では一目置かれるような人間になることです。そうすることによって自分のしっかりとした居場所が出来てきます。
まず仕事の出来る人間になるには積極性を持つことです。自分の分をわきまえ、(此の分をわきまえると言うことがとても大切です。自分が今現在どのような立場にいるのかをしっかりと意識する事です。自分の分をわきまえずに物事を押し進めると回りから疎まれます)そして積極的に物事に立ち向かっていくことです。「お茶くみや、コピーなどは私の仕事ではない」と言った考えは捨て、職場では平凡なことでもどんどんと積極的に行動を取ることが大切です。
 仕事に対する心構えも、不満を持ちながら仕事をこなすか、あるいは何事に対しても明るく積極的に取り組んでいくかで、おのずと仕事の結果も、他人の評価も違ってきます。
 企業は利潤を追求し、目標を達成する為の集団です。学生時代には試験の時にだけ全力投球をし「一夜漬け」で何とかやり過ごすことが出来ましたが、職場では一時たりとも気を抜くことが出来ません。常に全力を尽くして仕事をすることが要求されます。学校の試験では60点を取れば一応合格、単位がもらえますが、仕事の場合60点では仕事が完成したとは見なされません。常にパーフェクトでなければ顧客は納得しません。常にベストを尽くし顧客の期待する結果を出さなければいけません。ですから楽しいことよりも精神的に苦しいことの方が多いかも知れません。しかし積極的に取り組むことにより良い結果が生まれ、そうなると精神的プレッシャーも喜びとなり、はね返すことが出来ます。人生心掛け次第、生き生きとした人生を歩むか、不満に満ちた人生を歩むかは「心掛け」次第です。
 人は、注意しても無反応な人やふてくされた態度をとる人には次からあまり声を掛けたくなくなります。不愉快な思いまでして、ご機嫌を取りながら仕事をしてもらうよりも、明るく頼んだことを積極的に取り組んでやる者に自然と物事は頼むようになるし、目を掛けてやるようになっていきます。積極的に明るく仕事に立ち向かっていく姿は必ず上司の目にとまります。
上司が君達の人間性を認めてくれなければ決していい仕事は回ってきません。そこをよく理解しなければ職場に対して不満を持つようになり、その不満が態度となって現れ、悪循環となっていきます。いい仕事をしたければまず、職場では明るく積極的に振る舞うことです。そして、いい加減では無く、真面目にきちんと仕事をこなしていくことです。
「あいつは、頼んだ仕事は手を抜かず一生懸命やる」といった評価が信用につながります。此の「信用」こそが職場に限らず、人生に於いて最大の宝物なのです。
 会社とは

 会社は利益追求の組織体ですから、君達の本当の実力を見極めない限り、やにわに大きな仕事を与えたりはしません。新人に何処まで任すことが出来るかを常に考えています。コピー、お茶くみ、掃除など張り合いのない仕事の時でも、その態度、動き、表情などすべてが君達の評価として帰ってきます。 
 君達が職場で自分の能力を発揮させたいと思ったならば、まず人に好かれることです。特に上司に目を掛けてもらえるような人間に成ることです。上司が、こいつは仕事に対して前向きで、一生懸命、性格もなかなか良いと思ったならば、必ず少しずつ採用してもらえます。しかしそれは決して上司にごまをすると言うことでは有りません。

 上司に好かれる人間とは
 1,礼儀正しく、気配りが出来る者
 2,仕事に対して前向きで、一生懸命やる者
 3,実力が有る者
などを上げることが出来ます。2,3もとても大切ですが、やはり礼儀正しいことが一番大切です。
 人間にはランクがある

 君達は今まで、「人間はすべて平等だ」と教わってきました。「先生と生徒、親と子供との関係も友達のような関係が良い」「学校は子供の個性、自主性を尊重し、教師はその子供たちの個性を伸ばす為に支援するといった姿勢が正しい教育だ」という教育を受けてきたと思いますが、今日からはこの考えを改めて頂かなければいけません。
 人格の尊厳、つまり基本的人権において全ての人は平等ですが、今までの努力、経験、業績等によって人間には当然ランクがあるということを認識して下さい。先生と生徒との立場もそうです。教える側と、教わる側には当然違いがあります。もし同等であるならば、君達は高い学費を払ってまで学校に教わりに来る必要は有りません。
 人間関係には必ず上下関係があることをわきまえ、お互いの間合い、(実質的距離間、精神的な距離間両方を含む)現在自分が置かれた状況、立場を把握し、分をわきまえることが大切です。

 礼儀と挨拶
 
 
礼儀をわきまえていると言うことはとても大切であり便利なことです。それは礼儀がかなう事で、自分が礼儀をわきまえている人間だという事が相手に伝わり、それが自分を理解してもらうために大変効率の良い手段となるからです。
 礼儀正しい人と思われるのと、なんて礼儀知らずの不作法な奴と思われるのとでは相手の心の開き方が違います。君達も、礼儀をわきまえない不作法な人が側に来たら不愉快に思い「もう嫌だから側に来るなよ、あっちに行って欲しい。」と心の中で思うはずです。


礼儀が生まれた理由

 人が人と付き合う場合、自我のぶつかり合いだけでは上手く行きません。そこにはやはり一つのルール、約束事が必要と成ります。その約束事が「道徳」であり「礼儀作法」です。「どうすれば相手は安心して心を開き、そしてこちらの誠意が伝えられるか」という事が礼儀の基本的な考え方です。
 私たちが安心して日常生活を送る為に最も大切なことは、社会全体が秩序正しく平和なことです。秩序が乱れたならば社会が不安になり乱れてきます。その社会の秩序を保つ為の具体的な行為が「礼儀」であり、心のあり方を説いているのが「道徳」です。
 「おはよう御座います」「おはよう」「オス」と挨拶にも色々な声の掛け方があります。この違いは、目上の人、親子、友人等、自分と相手との間柄の違いによって掛ける言葉と間合いが決まります。人と接する時に、この言葉使いと間合いがとても大切なことです。
 しかし、やもすると現代人は、何も考えずにズカズカと平気で人の間合いに入って来がちです。それは、日本が平和だからです。治安の悪い国では知らない人が急に近づいてきたら、やにわに刃物で切りつけられるかも知れませんからお互いに警戒心を持ちます。ですから初めに有る程度の間合いを取り、私は貴方に危害を加えたりしませんという意思を伝える必要があります。
 目上の人に接するときの間合い、友達との間合い、初めての人との間合い、それぞれ親しさによって挨拶するとき、会話するときの間合いは違います。この人と接するときの間合いをわきまえ、守ることが礼儀として最も大切なことの一つです。
 職場では、年令や地位の違いがあります。当然皆さんは新入社員としての立場で仕事をします。その自分の置かれた立場を常に心掛けながら仕事をする事が礼儀の基本です。ただし、礼法の基本は「自分を卑しめることなく、いかに相手に誠意を伝えるか」に有ります。

礼は過るな
 あまり丁寧すぎる礼は気を付けなければいけません。必要以上に丁寧な礼は自分の心を卑屈にし、却って相手に対して「こいつは何か下心があるのでは」と懐疑心さえ抱かせます。
愛嬌
 これらをわきまえた上で、人は「愛嬌」が大切です。愛嬌の有る人は、多少の失敗なら「これも愛嬌」とばかりに大目に見てもらえます。実力は今ひとつなのに目上の人から可愛がられます。
 愛嬌を振りまけというと「上司に媚びるのは嫌だ」とか「おべっかなどすぐに人に見破られあまりいい気分を与えない」と言われるかも知れませんが、愛嬌とは決して相手にお世辞を言ったり媚びを売ったりすることではありません。もともとは仏教用語で、観音様や仏様の穏和で慈悲深い表情、誰もが「敬愛」の念を抱く表情を「愛敬」と言っていました。それが転化して「愛嬌」と言う言葉になったのです。ですから愛嬌とはこびへつらうとは別の次元、相手の心を和ませ開かせる魅力ある表情、仕草のことです。是を「愛嬌力」と言いますが、この愛嬌力を磨き損ねると「無愛想な人」「とっつきにくい人」といった評価を受けます。このような評価を受けるのは何事においてもマイナスです。
気を使わなければいけない
 礼儀は気配りがあって初めて成り立ちます。君達が社会に出て今まで培ってきた実力を発揮するには、気配りの出来る人間に成らなければいけません。気配りとは周りの空気を読むことです。その場の雰囲気を読んで今一番何が大切かを考え、自分に求められる事、出来る事を考え臨機応変に行動に移す事を心掛けて下さい。
 私は学生を連れてよくキャンプに行きます。現地に着くとテントを張ったり食事の用意をしたり、薪を集めたりと、さまざまな仕事が待っています。着くとすぐに作業に取りかかる者、ただぼうっと見ている者、作業は誰かがやってくれるからとさっさと釣りを始める者など行動はさまざまです。けれどもまず、自分が置かれた状況で自分は今何をしなければいけないかを考え、てきぱきと動かなければだんだんと団体としての不協和音が生じます。
 学生の間ではそれでも何とかやっていけるでしょうが、社会に出るとそうはいきません。会社は利益を上げることが第一の目標ですから、マイペースで気の利かない者は必要とされません。マイペースで仕事が出来る者はよっぽど実力があり、実績を積んできた者だけにそのような境遇が与えられるのであって、新人にはまずあり得ません。
時間厳守
 私は学生達に接して最もだらしなく感じるのは「時間」に関してルーズな点です。集合の時間になってもなかなか集まらない者、遅れてきても平気でだらだらと歩いてくる者、遅れてきても何ら罪の意識を感じていない者などです。
 仕事は時間との戦いです。どのような仕事でも必ず納期、期限が有ります。仕事とは常に時間の制約の中でいかにお客の求めているベストの商品を提供するかが最も重要な点です。納期をキチンと守ることが「時間意識」の最も基本的な事であり、このことが信用につながります。
 時間にルーズな人は信用されません。信用を失った人には決していい仕事は回ってきません。ですから、君達は絶対に時間に対しては厳しく対応してください。今日からは友達との待ち合わせの約束も5分前までには必ず行くように心がけて下さい。そういう癖を付けることが大切です。
 君達が社会に出て就職した時、初めは日々の出来事が新鮮で物珍しく楽しくてしょうがないでしょうが、段々と仕事に慣れてくると今度は会社のさまざまな事に対して不満を抱く時期が訪れてきます。
 不満の原因の第一は、会社は自分の思っている仕事をさせてくれない、与えてくれないと考え出すことから始まります。自分はこんなに良いアイデアを持っているのに会社は採用してくれない。自分の能力を活かしてくれない。自分はこれぐらいの仕事をしたいのに会社はたったこれぐらいの仕事しかさせてくれない。といった不満です。
ベストを尽くす事の意味
私の道場では夏休みに空手を習いに来ている子供たちの合宿を行います。子供合宿は全員キャンプ場でテントに泊まり、自炊をしながら空手の練習をします。数年前のことですが、まだ空手は初心者ながら子供たちの自然教育やキャンプに携わっているということで手伝いとして参加してくれた人がいました。彼は子供のキャンプのレクレーションに関し自信が有った様ですが、合宿でのレクレーションの時間は二日目の夜にわずかな時間しか取っていません。せっかく参加してもらったのですがその人の出番は余り有りませんでした。彼は「瀬戸先生は人の使い方が分かっていない。私は自分の能力を発揮させる事が出来なかった。もっと私を有効に使ったならば充実したキャンプが出来たのに。」と帰って家族に言ったそうです。
 我々の合宿の主たる目的は空手の練習、そして子供たちが協力しあいながら火を起こし、食事を作り、自然での生活及び団体生活の規律を学ぶ事です。レクリエーションは息抜きの為であって、主たる目的ではありません。
 彼は残念ながら合宿全体の流れを見ることが出来ませんでした。全体の流れよりも自分のやりたいことが出来なかった事が不満となって表れたのです。
 この話は今後の皆さんに参考になると思います。会社のプロジェクトに参加したならば、大切なことは、全体の流れをしっかり理解し、そして自分の与えられた持ち場の中でベストを尽くし、プログラム全体が最高の状態で収まることを考えることです。
 ベストを尽くすと言うことを勘違いしないで頂きたいのです。必ずしも自分の持っている能力、技術、エネルギーを目一杯出し切ることを意味してはいないのです。
 ベストを尽くすとは、企画の目的をはっきりと理解し、セーブするところはセーブし、実力を発揮すべき所では全力を尽くし発揮する。この状況判断こそとても大切な能力の一つです。
 しかし、実力を発揮しなければいけない時に技術的な能力がなければ発揮することが出来ません。そうなると君の存在はうとんじられます。ですから、普段から自分に実力を付けるように常に勉学に励み努力することを怠ってはいけません。
 自分の能力に対して自信を持ち、その能力を活かそうと努力することはとても大切なことですが、自分の本当の実力を見極める謙虚な気持もとても大切です。この謙虚な気持が失われると、会社の方針と自分の思いとの間にギャップが生まれ、それが不満と成って表れてきます。
 会社に対して不満を持った時には我慢をして残るか、会社を辞めて転職するかのどちらかです。
会社に残る
赤提灯で同僚と愚痴を言いながら、仕方なく仕事を続ける。あるいはじっと我慢して今与えられた仕事をこなし、自分の実力を蓄えながら次のチャンスが来るのを待つなどが考えられます。
会社を辞める  辞めて再就職をする
 
 どう考えても自分に向かない仕事、職場の環境、あるいは社員を使い捨てと考えている会社など、現在自分の置かれた環境を冷静に判断し、辞めて転職することが必要な時もあります。
 但し、後戻りの転職はよくありません。転職するたびに、自分に実力を付けることが大切です。つまり自分の商品価値を高めなければ、転職しても思った地位や仕事がさせてもらえない為に常に不満が有り、すぐにまた転職することとなります。

アルバイトをしながら、自分に合った職業を探し続ける
 短期ならば良いが長期はダメです。企業はアルバイトには表面上の仕事しかさせません。つまり責任ある仕事は任せません。使い捨てですから、いくら仕事をしてもちゃんとした技術は身に付きません。アルバイトでは生き甲斐のある仕事を見つけることはなかなか難しいことです。そしてアルバイトで生活をする人が多い国は、技術の継承が成されず将来国家としての質が落ちていくことになり、ひいてはその国力が失われて行くことに繋がります。
フリーター

 日本の社会では今、フリーターやニートといった若者が増え将来の日本が危ぶまれています。仕事もせず、勉強もせず、何の技術も身に付けようとしない若者、つまりニートと呼ばれている青年が85万人、正規の職に就かずアルバイトなどで過ごすフリーターと呼ばれている人種が460万人います。私の周りにもフリーターをしている若者が沢山います。彼らを大別すると三種類に分けることが出来ます。
第一のタイプは、自分のやりたいことがはっきりしており、そのやりたいことを達成する為に今はアルバイトをしている者。例えば、音楽家や絵描きを目指す、あるいは、やりたい仕事先にどうしても就職出来ずアルバイトをしながらチャンスを待っている。こう言ったタイプの若者のアルバイトは必ず自分のやりたい仕事に関連したアルバイトを選んでいます。アルバイト自体が彼等の将来やりたいことに対しての視野を広げています。彼らは非常に自分の人生に前向きで積極的です。しかしこういった若者はごくごく少数派です。
第二のタイプは、就職すると自分の自由な時間が無くなり、やりたいことが出来なくなるから正規の職に就きたくない。といったタイプです。こういった若者に「ではやりたい事とは」と聞くと「好きな時に友達と会ったり、サーフィンしたり、旅行したり、他人に束縛されずに自由に生きたい。」といった答えが返ってきます。そのやりたいこととは趣味の延長であり普通は余暇にやるべきことです。そこから何かを生み出すと言った将来の展望は何もありません。彼らの頭の中には過去もなければ未来もありません。自分の人生に対して時間の軸と言うものが有りません。有るのは今が楽しければそれで良いと言った考えだけです。
第三のタイプは自分に向いている仕事が何かはっきりと分からないからアルバイトをしながら捜している。というタイプです。彼等は“自分探し”と言った言葉を好んで使います。
 先日、テレビでフリーターをしている若者がアルバイトをしながら旅をしている内容の番組を何気なく見ていました。最後に或る著名な作家が「今自分を見失っている若者が大勢いる、見失った自分を見いだすためのこのような“自分探しの旅”は非常に意義がある」という内容のコメントを述べていました。
 “自分探しの旅”と言うと、言葉の持つ叙情的なイメージに惑わされ「ああ、彼も悩んでいるのだな,そうか頑張れよ」と変にみんなが理解を示し、全ての行動が正当かされるきらいがあります。 自分探しの旅をいつまでやっても自分なんて探し出せるものではありません。そんなことを何時までもしていたのでは根無し草になるだけです。夢の世界の自分にいくら憧れても何処にもそんな姿の自分を見いだすことは出来ません。自分探しよりも、与えられた環境の中でどれだけ熱中して自分の実力をつけ仕事に邁進できるかが大切なのです。先ほども話したように、仕事をして行くうちに本当に自分のやり甲斐のある物が見えてくるのです。
 私は彼らに「旅に出たって自分など見つからない。なぜなら今ある姿そのものが自分でありそれ以外の自分などどこにもない。今と違う新たな自分に出会いたいのならば、今自分が置かれている現実をしっかりと受け止め、置かれた環境の中で自分を磨く努力をする事です。努力することにより初めて新たなる自分が生まれ、新たなる自分の可能性を発見出来るのです。
努力も何にもしないでただふらふらしているだけでは堕落こそすれ、格好良い自分などどこにもいません。人々はよく旅行をします。旅の目的は日常から脱出し、非日常的な出来事を味わう事により、気分転換し、感性を磨き、新たな情報を得、明日へのエネルギーを蓄えるのです。旅をしたって自分など見つかりません。それよりも自分を磨く努力をしなさい。」と説きます。

ニート
 
 もう一つの大きな社会問題と成っているのがニートです。自信を無くし、世の中は自分を受け入れてくれないと思いこみ、引きこもったり、何にもする気力を失ってしまう者。これがニートです。ニートと横文字で言うと本来の意味合いが薄れ、なんだか許される存在のように聞こえますが、本来なら、何事に対してもやる気のない「無気力者」と言うべきです。それをニートといった言葉でごまかしているのです。     
 私はずいぶん引きこもりの若者の面倒を見てきました。彼等に言えることは、自分のだらしなさや無気力を全部他人のせいにし、「周りの人は誰も私のことを理解してくれない、だから今私は動けないのだ。」と自分を正当化して引きこもっています。どんなに今までの人生を他人のせいにしようとも、最後には結局全ての責任は自分に降りかかってきます。誰も人生を代わってくれることは出来ないのです。自分で行動し解決しなければ、何事に於いても誰も助けることは出来ないのです。だったらいくらすねていても損です。何の解決にもならないのなら諦めて努力し、自分に実力を付けることです。

自分自身が尊敬に値する人間に成る事
 
 何故、自分の人生に対して信念もなく、目的もない人間、フリーターやニートといわれる人種が生まれてきたと思いますか。
 人はまず自分自身が尊敬に値する人間になろうという考えを持たなければいけません。しかし彼等の頭の中には、自分自身が尊敬に値する人間に成らなければいけないといった想いが無いのです。本当に尊敬に値する人間とはどのような人物かを考え、自分は尊敬に値する人間に成らなければいけないと日々想うことにより人は正しい道を歩むようになります。自分が尊敬に値する人間に成ろうと思うことは、自分を大切にする事です。自分を大切にしようと思うなら、絶対にニートなどには成らない筈です。なぜならニートとは自分が自分を一番粗末に扱っている事だからです。
 自分の人生を他人任せのいい加減な気持で生きていたのでは到底尊敬出来る人間などになれるはずが有りません。
 一般的には、地位の高い人、財を成した人、才能に恵まれた人例えば一流のスポーツ選手や芸術家などが尊敬の対象と思われがちです。それはそれで一理ありますが、真に尊敬の対象となるべきは現在の地位やお金を沢山持っているからではありません。巷では勝ち組、負け組と言ってお金を沢山稼いでいる人が憧れの対象となっているようですが、本当は違います。現在の状態に至るまでに為された努力が、人間として正しい行いであったかどうかに対して尊敬の念は払われるべきなのです。
 歴史上、素晴らしい人物は沢山います。その一人一人が誠を尽くし大変な努力をしています。だから皆さんは偉人伝を読んで心から感動するのです。

高慢と卑屈
 
 とかく人は自分を尊敬する過程において段々と高慢に成っていくきらいがありますが、尊敬と高慢とをはき違えてはいけません。自分を尊敬する心とは、常に謙虚さを持ち、自我を捨てて世の為に尽くそうといった心が働いていますが、高慢とはうぬぼれが強く、自分の存在を常にアピールし、アクが強く周りに不愉快な思いを与えます。
 ですから決して高慢な人間になってはいけませんし、同時に人は卑屈になってもいけません。自分を卑下する人は自分の実力を発揮出来ないばかりか、心が歪みひがみ根性が身に付いてしまいます。そうなると、世の中を真っ直ぐに見ることが出来なくなり斜に構え、困難な出来事に対しては言い訳をしながら避けて通るようになります。(この様な人間は常に自分を正当化する為に言い訳を考えているので口だけは達者になるが、鼻つまみ者です。)言い訳の人生などいりません。 
 若者は常に困難な壁に対して真正面から立ち向かって行き、それを乗り越えるだけの勇気とエネルギーを持ち合わせていなければいけません。それがないと何か不都合なことが起きるとすぐに人のせいや環境のせいにし、現状から逃げようとします。その最も顕著に表れた現象が「ニート」なのです。現実に立ち向かわず逃げても何の解決にもなりません。ますます事態を悪化させるばかりです。「行動無くして解決無し」是非、君達はどのような困難が立ちはだかろうとも挫けずに挑戦してください。そうすることにより、ひと回りもふた回りも大きな人間と成長していきます。

最後に
 
 歴史学者「アーノルド・トインビー」は古代ローマ帝国の興亡を徹底的に調査研究した結果「一つの民族、国が滅びるのは戦争によってではない。ましてや天変地異でもなければ経済破綻によってでもない。国民の「道徳」それが失われた時にその民族、国家は滅び去る」と言っています。
 姉歯耐震偽造事件や塾の講師による少女殺害事件などさまざまな事件が発生しています。これらの全ての事件は道徳心の欠如と自分の人生に対しての誇りを持つことを忘れてしまった結果です。
 日本の将来は若者である君達にかかっています。日本の将来とはつまり君達の将来です。若い君達がどのような思想を持ち、行動するかによって「日本の将来」がどのような方向に進んでいくかが決まるのです。
君達には、是非高い志を持って「人間とはかく有るべし」といった理想を持ち、日々その理想に向かって努力する人間に成って欲しく思います。そういった日々を送ることにより自分自身が尊敬出来る人間と成っていきます。君達の将来に期待しています。

以下に講義を聴いた学生の感想文から、いくつか紹介します。

「瀬戸先生のお話は武士道をもとにしていてこれまでの講演には無いユニークな物でとても興味深かった。中でも印象深かったのは自分を尊敬できる人間になろうというお話しです。自分の人生を豊かで充実したものにするには自分に誇りを持てるような生き方を普段から心掛けなくてはいけないと思いました。二つ目は空手の合宿でのお話です。一生懸命にやる事は大事だけどただ闇雲に一生懸命なのは周りに迷惑になる、周りの状況や自分に与えられた役割を理解することが大切だと思いました。」

「今回の講義は、一言一言に重みを感じる内容だった。はじめから一生打ち込める仕事だと思って就職した人はまずいない。一生懸命仕事をする事によって一生打ち込める仕事だと感じるのだという話を聴いて今まで重く考えていた気持ちが少し楽になった。」

「現実にしか自分の居場所は無い、という言葉にハッとしました。最近就職活動を考えると現実逃避したくなるけど、周りの皆に負けないように自分の居場所を見つけ出すために何事にも積極的に行動し、チャレンジ精神を忘れずに頑張りたいと思う。それが今自分のやるべき事なのだと思う。」

「先生がおっしゃった社会への還元という言葉にドキッとしました。私は自分自身だけのために就職し、自立する事が全てだと考えていました。今まで両親や社会に育ててもらっていた事をすっかり忘れていました。これからの就職活動に於いては、自分を高めるという事だけでなく社会への還元と云う事を忘れずに挑みたいと思います。今回は就職活動だけでなく人生に於いても大変為になるお話しでした。」

瀬戸塾新聞23号掲載記事

 

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