第八回 論語勉強会
(原文) 子日、君子不重則不威、 学則不固、主忠信、 無友不如己者、過則勿憚改、 |
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(書き下し文) 子曰く、君子、重からざれば則ち威あらず。 学べば則ち固ならず。 忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。 過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。 学而第一 |
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( 解釈 ) 君子、重からざれば則ち威あらず。 「重かざれば」は、堂々として決して卑屈な態度をとってはいけないという意味です。卑屈になると言うことは心の中に計算、打算、欲があるからで、そんなものはすぐに見透かされてしまい、威厳など到底保てるはずが有りません。また、傲慢と威厳とも違います。傲慢は虚勢を張っているだけで、これもまた人からは尊敬されません。 学べば則ち固ならず。 勉強をすれば知識が蓄えられ視野が広がり、固定概念が解きほぐされ、懐の深い人間になる、と言った意味です。 しかし一般的にいうと学べば固になりがちです。「生兵法は怪我の元」ではないけれど、わずかに得た知識が全てと思い込み別の世界が考えられなくなる人がいます。そしてその思い込みを「信念」と勘違いしている人が多々おります。世の中で本当に立派な信念を持っている人は極わずかで、ほとんどの人は固定概念であり、単なる思い込みにすぎません。 ですからここでの「学ぶ」は中途半端な勉強ではなく、徹底的に学問に励む、の意味です。良書を読み、徹底的に学問に励むことによって初めてさまざまな角度から物事を見ることが出来るようになり、視野が広がり応用がきくようになるのです。 忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。 「忠」とは偽りのない心、真心のことです。「信」は欺(あざむ)かないこと、嘘を付かない。つまり信用、信頼のことです。 「忠信を主とし」 人には常に誠実な態度で人に接することに一番の重きを置くことが大切である。 「己に如かざる者を友とすること無かれ」 人は、自分には無い何かを持っている人に対して魅力を感じると思います。人に利用されることを嫌がり、利用する人のことを悪のように言う人がいますが、利用されると言うことはそこに人間としての価値があるからです。利用されると言うことは、ある意味では名誉なことです。価値のない人間に対してはだれも振り向きません。但し利用する側がどのような思惑で利用しようとしているのかを正しく判断しなければ間違った方向に行く場合がありますので判断力を養う事も大切です。真の友達がいない人、仲間がいない人は、やはり魅力に欠ける人間だからです。魅力が無いということは底の浅い人間で提供するものが何も無く、何事に対しても努力を払わず受け身の人間のことです。また、世の中には自分より劣る者だけを周りに集め小山の大将で威張っている人がいますが、これもまた困った存在です。 やはり友を持つのならばお互いに切磋琢磨し成長しあえるような友でなければいけません。 「己に如かざる者を友とすること無かれ」は、ほとんどの論語訳本にはこの部分を「自分より劣っている者を友とするな」と訳していますが、私は「自分を磨き価値を高めなさい。そうしなければ人は付き合ってくれません。しかし自分を磨くには素晴らしい人間と付き合わなければ磨くことが出来ません。努力もせず、自分を磨こうとしない者と付き合っていたのでは自分は決して向上しません」と解釈します。 「朱に交われば赤くなる」「悪銭は良貨を駆逐する」と言った言葉があるように人間は環境に支配されやすいので友を持つのなら良き友を持たなければいけません。 与謝野鉄幹作詞の「人を恋うる歌」の一節に 「友を選ばば書を読みて、六部の侠気、四分の熱」とあります。 良き友を得ようとするならば、本を読んで勉強をし、そして友達が困って居る時には利害を超えて助ける勇気をもった情熱家、そのような男になれ。と鉄幹は言っています。「類は類を持って類する」友達というものはだいたい自分と同じ考えや思考回路を持つ者が集まってきます。まず自分の質を高めなければ良き友を得ることは出来ません。しかし本ばかりを読んで知識を付けると屁理屈ばかりをこね行動が伴わなくなってきます。やはり熱い情熱というものはとても大切です。情熱こそが世の中を動かします。理屈だけで情熱の無い者は何の役にも立ちません。役に立たない所か自分が行動したくないばかりに屁理屈をこね、行動しようとする者の足を引っ張り返って害を及ぼすことさえあります。 過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。 「過ちを犯したときには躊躇せず、周りの思惑や、誤りを認めたときに起きる結果などを考えず即座に改めることが大切だ」 そうは言われてもなかなか間違いを素直に認めると言うことは難しいものです。間違いを認めることにより、今までの自分の立場がどんな不利益をこうむるかと考えると、なかなか踏ん切りが付かないものです。しかし森永乳業や三菱自動車の事件を見れば分かるように、早い時点で誤りを認め、手を打っていればあのような顛末には成らなかったと思います。少しずつの誤魔化しの積み重ねが結果として社会に対して大損害を与えました。 「過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」これは、肝に銘じておかなければいけない言葉だと思います。 |
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