第六回 論語勉強会
〜「義を見て為ざるは勇なきなり」〜
【原文】 子日、非其鬼而祭之、諂也、 |
【書き下し文】 子曰わく、 |
鬼・・・死人の霊 亡霊 先祖の霊魂 |
【解説】 自分の先祖でもないものや自分が信じていない宗教や神々を祭るのは諂いであり卑しむべきおべっかである。 こうするのが人間として正しい道と知りながら実行しないのは勇気のない人間だ。 「義を見て為ざるは、勇なきなり」この言葉は論語の中で最も有名な言葉の一つです。世の中の多くの人は何だかんだと理由を付け、見て見ぬ振りをしてトラブルから身を避けようとします。 しかし面倒なこと、自分にとって何ら利益にならないこと、利益どころかかえってマイナスに成ることでも立ち向かっていかなければいけないことがあります。 多くのいじめ問題もそうです。回りの人達が可愛そうだと思っていても、それに関わるとイジメの対象が自分に向かってきては大変だと思い、見て見ぬ振りをするか、イジメに荷担してしまいます。 マンションの隣の部屋で殺人が行われ、助けを呼ぶ叫び声や大きな物音が聞こえても何の行動も起こさず素知らぬ顔をしている。これなどは「義を見て為ざるは、勇なきなり」の典型です。 孔子は、自分の利益や保身のために勇気を持って実行しないのは卑怯者だと言っているのです。 私達が受けてきた戦後教育では「卑怯を憎む心」ということを教わってきませんでした。それどころか「命あっての・・・」とばかりに個の利益や人権などを過度に重視し、その為個人主義が蔓延し卑怯な行為でも正当化されてきました。 政治家も官僚も一流企業の取締役も、失態はすべて他人になすりつけて素知らぬ顔をしている卑怯な者の悪行が連日テレビをにぎわしています。 卑怯な行いは人間として非常に醜い行為であり、卑怯者は世の中で生きていく価値がない位にこれからは教育して行かなくては世の中は良くならないと思います。 |
瀬戸塾新聞23号掲載記事 |