第三十一回 論語勉強会


瀬戸塾師範 瀬戸謙介

(原文)
         子曰、君子和而不同、小人同而不和


(書き下し文)
    
    子曰わく、
    君子は和
(わ)して同(どう)ぜず、小人(しょうじん)は同(どう)じて和(わ)せず。
                             子路第十三(二十三)

 (訳) 
「和」には穏やかなこと、仲良くすること、なごやかなこと(和気、柔和、温和、平和)という意味がありますが、ここでの「和」の意味は、上手く混ざり合う、上手くつり合い全体が整っている(和音、調和、中和)という意味です。
 たとえば和音のドミソ♪は、それぞれの音は独立していていながらも、聞く人にはこの混ざり合った音が心地よく聞こえます。サッカーも同じです。下手な人が11人ではそのチームは絶対に強くありません。しかし、いくら技術の優れた者が11人集まっても、個々が勝手にプレーしたのではやはり強くありません。素晴らしい技術を持った11人が最高のプレーを発揮しつつお互いに連携、協調することによって初めてチームは最強となります。これが「和」です。
 調和とは、しっかりとした自分の意見を持っている者同士が、お互いの折り合いを見つけてより良い解決策を見出したり、前向きに新たな方法を導き出したりする事を指します。
 「同」の意味は、おなじであること(質・状態・程度などが同一であること)同質であるという意味です。
 一見「和」と同じように感じるかも知れませんが、「和」には主体性があり、異質な者同士が混ざり合い調和しながら別の世界を創り出すといった意味合いがありますが、「同」には水と水が混ざり合っても同じ水しか生まれまれないように、主体性が有りません。そこから「同」には迎合する(げいごう:自分の意志とは関係なく、他人の意見に合わせる)、他人の機嫌をとるという意味が生まれました。
 迎合という言葉は評論家、コメンテイターがよい例です。世間の流れや雰囲気に合わせて、何も真実が解っていなくても、それがさも自分の意見のように饒舌に喋り、一斉に同じ方向を見て立場の弱い者や物言えない者を叩く。これを世間に迎合すると言います。
 君子は、心穏やかでみんなと調和するが、決して迎合するようなことはしません。しかし、小人はすぐに迎合し、調子はいいけれど信念が無く常に心がぶれており、自分の不利益になることからはすぐに逃げ出します。このように小人の交わりとはつまらないものですよ、まことに下らないものですよと孔子は言っているのです。
 君子はよく勉強し修行を積んでいるので視野(心の目)が広く、懐が深いから協調性(協調性・・性格や意見の異なった者同士が互いに譲り合って調和をはかること)があり、無意味な摩擦は起こさないけれど、自分の意志、信念に反するようなことに関しては妥協するようなことは絶対にしません。しかし、小人はその逆で、目先の損得で物事を判断し、主体性が無く大衆(みんな)の意見に流されます。また自分の利益しか考えていないので本当の意味での協調性に欠けます。
 集団によるイジメがそうです。自分がいじめられたくないために、体制側に付いて同調する。これこそまさに「同じて和せず」です。周りの様子を伺いながら尻馬に乗り迎合する。何と情けない心根でしょうか。
「同じて和せず」のよい例
 民主党の鳩山幹事長は、田母神氏の論文に最優秀賞を贈ったアパグループの谷外志雄元代表が自宅で開いた「ワインの会」に婦人と共に参加し、航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏らと多いに意見を交わしていました。会合では田母神氏が中国の脅威や自衛隊の防衛力の現状など氏が論文で発表した主旨とだいたい同じ内容の話しをし、その時に鳩山氏は田母神氏の意見に同調して発言もしたそうです。
 出席者によると、(現役雑誌記者、ブログ日記より)
「大島信三氏が司会を進める形で田母神敏雄氏が主に話をされましたが、鳩山由紀夫さんもたいそう頷かれ、全体の話の趣旨に同意しています。中国、南京虐殺、核武装の話もあったため、むしろ出席者は、鳩山由紀夫氏に気をつかわれていました。政治的にまずいようであれば、調整・編集しますということだった。この原稿(アパグループが出している雑誌にワイン会の様子が書かれている原稿のこと。ホームページでも読むことが出来ます)はゲラのチェックを受けています。誰が、どのような発言をしたかについては明記していませんが、当然、参加者全員が記事の内容に同意し、さらにホームページ公開にも同意されたものと判断しています。」
 詳しくは下記のホームページを参照下さい。
http://www.apa.co.jp/appletown/pdf/wine/0411_wine.pdf
 しかし、鳩山氏は田母神氏の論文が世間で騒がれた途端に、手のひらを返し、「この様な偏った歴史認識を持つ人物が自衛官のトップにいるとは、任命者にも責任がある、今後責任問題について国会で追求する」と記者の前で語気を強めながら語っていた。しかし、田母神氏が参加していた「ワインの会」に鳩山氏も出席したのがばれると。鳩山氏は「政治談議の場ではないとのことだったので夫婦で出席したが、全体のムードもお話も特異なことが多かったため、ほとんどお話もせず失礼にならないように中座した」と言って逃げていました。しかし出席者の証言によると鳩山氏はパーティーの最後までいて、楽しそうに談笑していたそうです。
 自分が不利な立場になると思った途端に、手のひらを返し、人を裏切ることを何とも思わない、鳩山氏とは何と情けない浅ましい根性の持ち主であろうか。この様な人間は信頼に値しないし絶対に近づきになりたくありません。この鳩山幹事長の態度こそが、「同じて和せず」の典型です。
 孔子は、小人との交わりはそんな程度の下らないものだからあまり深く関わり合わない方が良いですよ、時間の無駄ですよ、友は選ばなければいけませんよ、と言っているのです。
「己に如かざる者を友とすること無かれ」
友を持つのならばお互いに切磋琢磨し成長しあえるような友でなければいけません。
 「和」を大切にと言うと、みんな仲良く手をつなぎ、事を荒立てずにやり過ごすことが善いように勘違いしている人もいますが、決して「和」とはそのような意味のない仲良しクラブを指すのではありません。
 自分の考え、思想をしっかりと持った上で意見を述べ合い、相手の意見も充分に聞いた上で調和させていく、これが「和」です。
 日本は「和の国」と呼ばれたように、日本人の心の中や生活において一番中心に置いたのが「和」の心でした。ですから日本で初めて制定された十七条憲法の冒頭でも和の大切さを謳っています。

 聖徳太子(574~623)の十七条の憲法(604年)飛鳥時代
(書き下し文)
 一に曰く、和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たっと)しとし、忤(さか)ふること無(な)きを宗とせよ。
 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君(きみ)・父(ちち)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)へり。
 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(ろん)ずるに諧(かな)うときは、すなわち事理(こと)おのずから通ふ。何事か成らざらん。
(現代語訳)
 一にいう。和をなによりも貴いものとし、いさかいをおこさないことを基本とせよ。
 人はみな徒党を組みたがり、道理を弁えた人格者は少ない。だから、君主や親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちといざこざを起こす。
 しかし、上の者が心穏やかにし、下の者も親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずと道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)しないことはない。
 太古よりご先祖さまが大切にしてきた「和」の精神をしっかりと引き継いでいくことが我々の役目ではないかと思います。以上


瀬戸塾新聞第32号掲載記事

 

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