第三十回 論語勉強会


瀬戸塾師範 瀬戸謙介

(原文)
         子曰、徳不孤、必有隣

(書き下し文)
    
       子曰わく、徳
(とく)は孤(こ )ならず。必らず隣(となり)あり。
                           里仁第四(二五)

 (訳)
 徳を身に付けた人間として素晴らしい人は決して孤立しない。その人の回りには必ず徳を慕って人が集まってくる。
 人は自分が孤立することを恐れ、人生の生き方に対して妥協しがちになります。けれど、人間は孤立を恐れてはいけません。孤立を恐れると不本意なことでも事でも妥協し、心が卑しい人間になります。人間として正しい道を、信念を持って歩めば必ず理解者が現れてくるものです。
徳とは
 人が社会で暮らしていくためには必ず守らなければいけない約束事があります。「騙してはいけない。人を傷つけてはいけない。盗んではいけない。」等々これらは人が社会生活をしていく上で絶対に守らなければならない行為です。もしこれらの約束をやぶった場合には法律によって罰せられます。
 徳ある人とは、人としての約束事を守るのは当然ですが、それだけではなく日本人が古来から求め続けてきた勇気(正義のために戦う勇気)、誠実(誠心誠意まごころを尽くす)、礼儀、勤勉、慈愛、廉恥(恥を知る心)、忍耐、気概(困難にくじけない強い心)、寡黙、卑怯を憎む等こういった徳目を目指して学び、実践すべく努力して身につけた人を指します。
 江戸時代の日本人はこれらの徳目を当たり前のように受け入れ、自分を磨く努力を怠りませんでした。
 明治の初め、日本政府は近代国家を目指すために、岩倉具視を団長とする百名を超える欧米視察団を派遣しました。彼等は行く先々の国で人間的に高い評価を受け非常に好意的に受け入れられました。その一行の中に八歳から十六歳の女性五人が含まれていました。彼女たちと接したアメリカ人は
「いま、我が国を訪れた日本の女性たちは、しとやかで上品な起居振る舞いのため、アメリカ人の間にたくさんの友人を得た。彼女たちと親交を結んだアメリカ人女性はみな、彼女たちがとても魅力的だと明言している。彼女たちはとても活発でキビキビしているが、その物腰は人に頼らぬ堂々としたものである」(詳しい内容は私の推薦図書「堂々たる日本人」を読んで頂ければ解ります)と評価しています。
 この一事でも解るように、言葉が通じなくても人間としての徳性を身に付けていればその回りには自然と人が集まりよき雰囲気をかもし出すものです。
 我が身を振り返ってみて、もしも自分の回りに素晴らしい友達がいなく独りぼっちで孤独にさいなまれているとしたら、それは自分自身の至らなさだと自覚すべきだし、一所懸命に勉強して徳を積むこと以外に解決方法は有りません。
 「小さな人生論」の中の『人間力を養う』はまさにこのことを言っているのです。人間力とは、地位や財力とは関係なく、その人の姿形そのものからかもし出す気品それこそが本当の人間力であり、輝きを持った人間の所には必ず人が集まってきる。と孔子は言っているのです。
 志賀の小川村に住んでいた中江藤樹のもとには全国から藤樹の徳を慕って人が集まってきました。伊藤仁斎、二宮尊徳、佐藤一斎、藤田東湖、橋本左内、西郷隆盛などの周りにも、その人の徳を慕って全国各地から人が集まってきました。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」の実例は歴史を振り返ってみると数限りなく存在します。
 しかし今の中国を見てみると、本当にあの孔子さまがお生まれになった国かと疑いたくなる。毒入り餃子を輸出しても「我が方にはなんら責任はない」と厚顔で言い切り、偽ブランドは横行し、オリンピックでも体操選手の年令詐称やクレー射撃の審判抱き込みなど様々な問題を起してまでも勝つことが全てと居直る国。きっと草葉の陰で孔子さまは嘆いているに違いありません。

瀬戸塾新聞第32号掲載記事

 

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