第二十九回 論語勉強会
瀬戸塾師範 瀬戸謙介
(原文) 子曰、 益者三友、損者三友、 友直、友諒、友多聞、益矣、 友便辟、友善柔、友便佞、損矣、 |
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(書き下し文) 子曰わく、 益者(えきしゃ)三友(さんゆう)、損者(そんしゃ)三友、 直(なお)きを友とし、諒(りょう)を友(とも)とし、 多聞(たぶん)を友(とも)とするは、益(えき)なり、 便辟(べんぺき)を友(とも)とし、善(ぜん)柔(じゅう)を友とし、 便佞(べんねい)を友とするは、損(そん)なり、 李氏第一六(四) |
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*直き友・・剛直な人物 正直で素直な友。 正直で裏表のない人を友に持てば、自分の過ちも端的に指摘してくれるので方向性を見誤ることがない。 |
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(訳) 「正直な人、誠心を持った人、よく勉強し博学な人を友達にするのは、有益だ。この三つが良き友としての条件です。 要領の良い奴、舌先だけの者、心のねじ曲がった者、このような者を友とするのは害を及ぼす。この三つが悪友の条件だ。」 諺に「水は方円の器に随い、人は善悪の友による」という言葉があります。人間は交わる友によって変わる。だから友を選ぶのならば益友を選び、損友は遠ざけなければいけないことを説いています。 善友はお互い助け合い、自分を磨くことができるが、悪友は群がり、堕落します。 「朱に交われば赤くなる」人は交わる友によって善くも、悪くも成る。立派な人間になるためには、まず素晴らしい人、人生の師といえる人に巡り会うことです。 坂本龍馬と勝海舟の出会い 龍馬は土佐を脱藩し、江戸に出て、北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉の桶町千葉道場に入門しました。千葉家は水戸藩との交流も盛んで水戸流の攘夷思想に凝り固まっており、龍馬もその思想にかぶれました。龍馬は千葉重太郎を伴い勝海舟を暗殺するために赤坂氷川町の屋敷に乗り込んでいきました。海舟は二人を迎え入れ「君達はおれを殺すつもりで来たのだろう」と言って右手で切る真似をし、「斬るならいつでも斬られてやろう。その前におれの話を聞け」といってアヘン戦争などの話しを交えながら世界の情勢を説き、「日本が欧米諸国に対抗し得る国力を備えて初めて真の攘夷を成す事が出来るのだ」ということを懇々と説き聞かせました。龍馬は無学ながらも、物事にこだわらない潤達自在な心の持ち主であったので海舟の教えに感服し、門人となりました。 もし龍馬は海舟との出会いがなかったならば、ただいっぱしの攘夷にかぶれた浪人として世に出ることもなく朽ち果てていったことと思います。海舟との出会いがあったからこそ歴史に残る人物となっていったのです。龍馬と海舟の出会いは、人は素晴らしい人との出会いによって成長するよい例です。 以前論語の勉強会で 「己(おのれ)に如(し)かざる者を友とすること無かれ。」 という言葉を習ったのを覚えていますか。自分より劣っている者を友としてはいけません。「悪銭は良貨を駆逐する。」と言った言葉があるように、人間は持つ友人によって考え方などが大いに左右されます。 人はとかく、どちらかというと付き合い辛い益者三友を遠ざけ、付き合い易い損者三友になれ親しみがちです。 「直きを友とすれば、則ち其の過ちを聞き、諒を友とすれば則ち誠に進み、多聞を友とすれば、則ち明に進む。」 この言葉を肝に命じて友を選ぶことが大切です。 |
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瀬戸塾新聞第32号掲載記事 |