第二十七回 論語勉強会
瀬戸塾師範 瀬戸謙介
(原文) 子曰、 人而無信、不知其可也、 大車無輗、小車無軏、 其何以行之哉、 。 |
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(書き下し文) 子曰わく、 人にして信なくんば、其(そ)の可(か)なるを知らざるなり。 大車(だいしゃ)輗(げい)なく、小車(しょうしゃ)軏(げつ)なくんば、 其れ何を以てかこれを行(や)らんや。 為政第二(二二) |
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*信・・心と言、言と行との一致し虚偽のない“まこと”のこと。嘘を付かない、約束をしたことは必ず守る。信義、信用、信頼これらすべては“誠の心”から発しています。 *信義・・約束を守りつとめ果たす *可・・ゆるすの意。可なるを知らざるなりの「可」は「上手くやっていけるはずがな い」の意味 *輗(げい)、軏(げつ)・・どちらも「くびき」といって、牛や馬を車につなぐ棒のこと。 |
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(訳) 人として信用出来ない人間が、ゆるされたという話しを聞いたことがない。 それは世間がそのような者を人間として認めないということを言っているのです。 つまり、人として信用されない者が、人生において成功したという話しを聞いたことがない。 それは、信とは大車(牛車)の輗(げい)や小車(馬車)の軏(げつ)のようなもので牛車や馬車を扱う人にとって、牛馬を制御する輗や軏(くびき)を付けなければ安心して牛馬を走らすことが出来ないのと同じだと言っています。 お互いの人間関係が上手く行くのは、お互いに相手を信用しているからです。約束したことは絶対に守る、嘘を付いて騙したりしないという信頼関係があればこそ、安心して心を許し付き合うことが出来ます。 人はそれぞれ自分の周りに様々な友人がいると思います。その友人の中にも、友人としての重要度がそれぞれ違うはずです。その違いは信頼度によって決まってきます。あいつはしょっちゅう約束を破る、あいつは時々嘘を付く、あいつはだらしない、あいつは言ったことは必ず実行する等々日頃の言動、行動によってランク付けされているはずです。 オオカミ少年の話し オオカミ少年の話は嘘を付くと信用を失う事を説いた話しです。「ある村に羊飼いの少年がいました。一日中放牧をしている羊を見ているだけなので、退屈でしかたありません。あまりに退屈なものだから、あるとき悪戯を思いつき叫びました。 「オオカミが来た!羊が食べられる!」と大声で叫びました。 少年の叫び声を聞きつけた村人たちは、こん棒や鍬などを手にし、急いで駆けつけました。そのようすを丘の上から見ていた少年は、村人の慌てて駆けつける格好を見て大笑いしました。 その後も少年は何度も「オオカミが来た!羊が食べられる!」と嘘を付き、その度に慌てて駆けつけてくる村人の様子を見て笑いました。 ところがある日ついに本当にオオカミがやって来ました。少年は、あわてて大声で「オオカミだ!」と叫びましたが村人たちはまた嘘を付いていると思い誰も駆けつけてくれませんでした。そして、とうとう少年の羊は一匹残らずみな食べられてしまいました。 この物語が語っているように、ふだん嘘ばかりついている人はいざというときに誰も信じてもらえなくなってしまいます。 「信」は道徳の中心 人は信という徳があって始めて人から信頼され、良き仲間が集まり夢を実現することが出来ます。夢は一人だけの努力では実現できません。周りの人の協力があって初めて実現できるのです。しかし、周りの人たちの信頼が得られなければ協力を得る事は出来ません。すなわち人は「信」がなければ夢を実現することが出来ないのです。 信頼を得るためには、言葉と行動が常に一致しており、言ったことがが信頼できるということが大切です。言行一致、これは「人格の完成」を目指すための基本です。 言語が信頼できない人間は、人間としての可能性を見いだすことができません。なぜなら人格の基本である「信」がないからです。 「君子は言に訥(とつ)にして、行に敏(びん)ならんと欲す」(本紙26号論語第13回に解説) だから、君子は多くを喋らず、行動において敏捷でありたいと望んだのです。 日本人は口べたで自分の意見をはっきり言わない。もっと自分の思ったこと感じたことを主張すべきだという意見をよく聞きます。それ故か学校では、自己表現の能力を伸ばす事に主眼をおいた授業に力が入れられています。自分の意志、意見をはっきりと主張することはとても大切なことですが、やもすると、自分の立場を正当化するための言い訳だけが上手くなり気味です。口達者な人間よりも自分の考えをしっかり持っている、芯のある人間を育てることの方が大切なのではないでしょうか。正しい人間としての道をわきまえている人は多くを喋らなくても心は通じます。多く喋るよりもまずは行動で示すことが大切です。 国際社会が上手く行かないのは信よりも利が優先されるからです。信のない相手にいくら信を持って接してもまごころは通じません。利によって動く国際社会は利によってのみ関係は上手く行くのです。そこの所をきちんとわきまえて、なおかつ真心を持って接することが大切なのです。そうしないと大火傷をするはめになります。 「相手の嫌がることはしない」と言った福田元首相の言葉に対して、中国や朝鮮は「しめた」といって喜ぶかも知れませんが、日本国民の利益には全くなっていません。利益が最優先する国際社会では、まず第一に国益を考えない人を総理大臣に選んだ国民は不幸です。そのような感覚のない福田元総理は政治家として落第です。 |
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瀬戸塾新聞第31号掲載記事 | |