第二十六回 論語勉強会


瀬戸塾師範 瀬戸謙介

(原文その1)
         子曰、君子疾没世而名不称焉、
(書き下し文)
    
  子曰わく、
  君子
(くんし)は世(よ)を没する(ぼっ)まで名の称(しょう)せざることを疾(にく)む。
                              衛霊公第十五(二十)
*世を没す・・終身の意
*疾む・・悪む
(訳)
 君子は、死ぬまでに名を残すような仕事をしないことを恥じだと思う。君子たる者、死ぬまでの間に此の世に名を残す仕事をしようといった意気込みがなければたいした人物にはなりません。
 しかし名声にこだわり、どうすれば名声を得る事が出来るかと、名を上げる事だけを目標に頑張ることは歪んだ方向に進むのでそこは気を付けないといけません。
 ただし、自分が一生懸命努力をした世界で一目置かれないようでは本物とは言えません。
(原文その2)
            四十五十而無聞焉、
           斯亦不足畏也已矣、

(書き下し文)
       四十(しじゅう)五十(ごじゅう)にして聞(き)こゆること無(な)くんば、
       斯
(こ)れ亦(ま)た畏(おそ)るるに足(た)らざるのみ
                              子罕第九(二三)

(訳)
 人間は、どのような地位や境遇にあっても、四、五十才位になると必ずその人間性というものはある程度出来あがってきます。従ってその年齢の者はその人が生活している範囲内で何らかの存在感が出来てくるはずです。その年になってもなんら存在感のない人は、尊敬するに値しません。
  「自分は無名でもいい」「何も名を残さないで死んでもいい」「自分の人生は楽しく気楽に生きられればいい」と考えている人がいます。しかし、君子を目指している者は「世の中をよくしたい、その為に世に名が聞こえるようになりたい」という志しが無ければいけません。名前を残そうという志しは人が成長する上で欠かすことができません。
 君達は空手を一生懸命練習しています。前回の親子での合同練習勉強会で、先生は空手の目的は何だと言ったか覚えていますか?
「空手の最終目的は君子になる事だ」といいました。君達は君子になるために日夜励んでいる事を忘れてはいけません。
名を惜しむ
 「名を惜しむ心」この気持こそが君子に近づく第一歩です。「名を惜しむ」気持を常にもっている事が自分を成長させるためには欠かす事の出来ない心構えです。
 名前というものは、君達の人生そのものです。悪事を働けばその名前は汚れ、一生汚名が付いて回ります。良い事をすれば、その人の名前を聞いただけで「あ、あの立派な人」というイメージが湧きます。そして名前は君達の肉体を離れて一人歩きをし、自分の知らない所で噂話に上る事もあります。
 悪い事をすればその名前を汚す事になり、一生その名前に汚点はついて回ります。良い事をすればもちろん名は高まります。そして名前というものは、肉体が滅んでしまっても、後世に残るものです。良い事も悪い事も全て背負って末代にまで伝えられていきます。ですから自分の名前を汚すようなことは決してしてはいけません。
 吉田松陰は安政の大獄で捕まり、死を覚悟した時に弟子の高杉晋作に「だらだら生きるよりも、死んで永く後世に残すものがあると思うならば、何時何処で死んでもよい」といった内容の手紙を書いています。「いつどこで死んでも良い」という言葉は、松陰が命を粗末にしたのではなく、人生というのもは、ただダラダラと長く生きる事が良いのではなく、どれだけ質の高い人生を歩み、どれだけ後世に残すものがあるかが大切なのだと言っているのです。
 「命の大切さ」ということを皆さんは道徳の授業で習ったと思います。「命の大切さ」とは限りある命を大切に生きるという事です。
 どんな人にも「死」は必ずやって来ますが、その「死」はこれから10年、50年先なのか、それとも明日突然やって来るのか予想はつきません。つまり「死」というのは何時何処からやって来るのか誰にも分からないのです。間違いなく言える事は、私たちが日々生きると言う事は着実に「死」に向かって一歩一歩近づいているという事です。
 私たちの人生は一回限りのものであり、やり直しがきかなく、二度はありません。死ぬ間際になって後悔しないように、毎日を一生懸命、人間として成長する事を願い努力し、いかに充実した人生を送るかが大切なのです。
 内村鑑三は『後世への最大遺物』(岩波文庫)の中で、「たとえ私達がお金を遺せなくとも、大きな事業を起こせなくとも、偉大な思想・文学を遺せなくとも、勇ましい高尚な生涯を子孫に遺すことができる」と言っています。
 リンカーンがアメリカ大統領の時に友人の一人がある人物を政府高官の適任者として推薦しました。面接をしたリンカーンが一向に採用してくれないのでその理由を正したところ「人相が良くない」と言ったので「人相などで判断するのはおかしい」と詰め寄ると「人間四十にも成るとその者の歩んできた人生そのものが映し出されるものだ」といってとうとうその者を採用しませんでした。果たせるかな、その者は後日、他で刑事事件を起こして逮捕されたという事です。
「人の顔は履歴書だ」といわれる所以です。
瀬戸塾新聞第31号掲載記事

 

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