第二十四回 論語勉強会


瀬戸塾師範 瀬戸謙介

(原文)
         子路曰、
              子行三軍、則誰與、


         子曰、 暴虎馮河、死而無悔者、
              吾不與也。
              必也臨事而懼、
              好謀而成者也。


(書き下し文)
    
  子路
(しろ)(い)わく、
     子
(し)三軍(さんぐん)を行(おこな)わば、則(すなわ)ち誰と与(とも)にせん。


  子曰わく、暴虎
(ぼうこ)馮河(ひょうが)、死して悔(く)い無き者(もの)は、
        吾
(わ)れ与(とも)にせざる也。
        必ずや事に臨
(のぞ)んで懼(おそ)れ、
        謀
(はかりごと)を好んで成さん者なり。
                               述而第七(十)
*三軍・・一軍は一万二千五百人、三軍はその三倍の三万七千五百人
*暴虎(ぼうこ)・・暴れている虎
*馮河(ひょうが)・・流れの激しい河
*馮・・川を徒歩渡り(かちわたり)する
*与(とも) ・・なかま、一緒に行動する
懼れ(おそれ)・・よくないことが起こるのではないかという心配、気づかい、 不安、かしこまること、敬意を抱く
謀(はかりごと)・・計画 、もくろみ、計略 
(訳)
 子路が孔子に「もし先生が大軍の司令官となったならば、共に行動する相手として誰を選びますか」と聞きました。(言外に孔子塾きって勇敢な私以外に勤まる者はいないだろうという自負があり、必ず自分の名前が上がると思って聞いたのです。)
 孔子はこれに答えて
「暴れている虎を素手で立ち向かって行ったり、流れの激しい大河を何の調査もせずに矢庭に歩いて渡ったりするような向う見ずな行為を平気で行うような者(暴虎馮河)や、もし失敗すれば、その時には命を投げ出せばそれでいいじゃないかという無鉄砲な考えの持ち主と私は一緒に行動しない。(血気の勇を戒めています。)
 私が一緒に事を成したい人物とは、行動を起こすときに傲慢に成らず、最悪な状態も予期し、慎重に対処法を考え周到綿密に計画を練ってから行動を起こす者です。」と言って子路の蛮勇を諫(いさ)めました。
 「無計画な勇気は本当の勇気ではなくただ単なる暴挙に過ぎない」と孔子は言っているのです。
勇気とは
 勇気とは人間にとって絶対必要な要素です。勇気のない人間、そのような人は人間としての基本が欠けている人です。
 そして勇気にとって大切なことは「義」です。義のない勇気はただ単なる乱暴者です。今まで学んだ論語に「勇にして礼なくば則ち乱る」「勇を好めども学を好まざれば、其の蔽や乱」という言葉が有ったのを覚えていますか。この言葉は正にそのことを言っているのです。
もう一つ「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉を覚えていますか。
 *「義」・・人間として行うべきすじみち、人道。公共のために尽くすこと、正義
「義を見てせざるは、勇なきなり」とは、勇の行動には必ず正義が伴っていなければいけないし、正義を前にして尻込みするようでは本当の勇者ではないと言っています。
 シェークスピアが「Be just and fear not.」といった言葉を残しています。
 *Be just(公正たれ)  fear(恐れ、心配)
「正を守りて恐るるなかれ」と訳します。
 この守るということがとても大事なのです。不正を見過ごさず正しいことを実行する。これはとても勇気のいることですし、必ず妨害されたり誹謗中傷されたりします。しかし「恐るるなかれ」これは勇気がなければ出来ません。ですから、正義を守る心意気が勇気を養うための最大の条件です。
 正義の伴わない勇気の事を「匹夫の勇」と言います。(匹夫とは一匹二匹で数えるにしか値しないような人間という意味です)
 自分の意の赴くまま、感情的に勝手に振る舞う人のことです。それは猛獣と同じで、修養も何もいりません。れども、本当の勇気とはそういったものではありません。
水戸光圀は次のような言葉を残しています。
 「戦場に駆け入りて討ち死にするは、いとやすき業にて無下の者にてもなしえらるべし。一命を軽んずるは士の職分なれば、さして珍しからざる事にて候、血気の勇は盗賊も之を致すものなり。侍の侍たる所以は其の場所を引退(しりぞいて)忠節に成る事もあり、其の場にて討ち死にして忠節に成る事もある。これを生くべき時には生き、死すべき時のみ死するを真の勇者というなり。」
 つまり感情に左右されることなく状況判断が出来、適切な行動が出来る者それが本当の勇気だと言っています。
 真の勇者は、死に値しないことの為に命を落としたり、やみくもに危険を冒したりしません。いかなる状況に置かれても義を尊(たっと)び、冷静沈着に行動することが出来る者を真の勇者と呼ぶのです。
また、勇について孔子は「仁者(じんしゃ)は必ず勇あり。勇者(ゆうしゃ)は必ずしも仁あらず。」とも言っています。(瀬戸塾新聞22号、論語勉強会第三回に解説)
 素晴らしい人格者は必ず勇気(正しい行い、行動力)がある。しかし、勇気の有る人が必ずしも人格者とは限らない。というのです。
 勇気にも色々あるということです。血気の勇とは感情にまかせての暴れ者。また、自分の立場やその場の状態、その時々の空気を読めずにただ自分の言いたいことを述べる者など一見勇気ある行動のように見えるものでも、そこに知性と理性が伴った思慮、分別がなければ却って世の中を乱します。
 血気にはやった勇気を蛮勇、あるいは小勇と言いますが、これも仁成らざる勇気です。蛮勇や匹夫の勇を抑え、義の為に行う勇気が本当の勇気です。

瀬戸塾新聞第30号掲載記事

 

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