第二十三回 論語勉強会


瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 
(原文)
         子曰、由汝聞六言六蔽矣乎、
             対曰、未也、
             居、吾語汝、
             好仁不好学、其蔽也愚、
             好知不好学、其蔽也蕩、
             好信不好学、其蔽也賊、
             好直不好学、其蔽也絞、
             好勇不好学、其蔽也乱、
             好剛不好学、其蔽也狂、


(書き下し文)
    
 子 曰く、
 由
(ゆ)や、汝(なんじ)、六言(りくげん)の六蔽(りくへい)を聞ける乎(か)
 対
(こた)えて曰く、未(いま)だし。
 居
(お)れ、吾(わ)れ汝(なんじ)に 語(つ)げん。
 仁
(じん)を好(この)めども学(がく)を好(この)まざれば、
                  其の蔽
(へい)や愚(ぐ)
 知
(ち)を好(この)めども学を好まざれば、
                  其の蔽
(へい)や蕩(とう)
 信
(しん)を好めども学を好まざれば、
                  其の蔽
(へい)や賊(ぞく)
 直
(ちょく)を好めども学を好まざれば、
                  其の蔽
(へい)や絞(こう)
 勇
(ゆう)を好めども学を好まざれば、
                  其の蔽
(へい)や乱(らん)
 剛
(ごう)を好めども学を好まざれば、
                  其の蔽
(へい)や狂(きょう)
                陽貨第十七(八)

  孔子が「由(子路)よ、お前は六言(人間として大切な六つの美徳である仁、知、信、直、勇、剛)それぞれに弊害があるのを聞いたことがあるか。」と聞きました。子路は起ち上がって「まだありません。」と答えると、孔子は「座りなさい。それではお前に話してあげよう。」と言いました。弟子が先生に教えを受ける時には起立して話を聞くことが礼儀とされています。ですから子路は立って教えを請い、立った子路を孔子は座らせたのです。
 

仁(じん)を好(この)めども学(がく)を好(この)まざれば、
                        其(そ)の蔽(へい)や愚(ぐ)。

 仁を好んでも学問をおろそかにすると、仁の本質が理解できず、ただの「お人好し」となる。このような者を「愚、愚か者」という。
*仁・・やさしさ 思いやり
*愚・・おろかなことくだらないこと(愚にも付かないこと)
 時には厳しく接することが相手に対して大切なことだと言うことが解らず、ただ優しく接することだけが仁だと勘違いしていると、足下をすくわれることになりかねません。今の学校で行われている道徳授業では、他人に対しての優しさや思いやり、他者の痛みを自分のことと感じる心など教わっていますが、ただ良心的だとか善人だというだけでは本当の意味での仁の心は身に付きません。私たちには本当の仁の心とは何かを判断できる理性や知性が必要なのです。


知(ち)を好(この)めども学(がく)を好(この)まざれば、
                         其(そ)の蔽(へい)や蕩(とう)。

 知を好んでも学問をおろそかにすると、自信過剰となり勝手に突走ってとりとめがなくなってしまう。このような者を「蕩」という。
*蕩・・ほしいままに振る舞う。放蕩・・酒色にふけり品行が修まらない。
 こういった輩は小利口なだけに、自分の知恵に溺れ、己の考えが世の中で一番正しいと錯覚し突走るものです。私が以前瀬戸塾新聞に記した、「無知の善人」などがいい例です。


信(しん)を好(この)めども学(がく)を好(この)まざれば、
                     其(そ)の蔽(へい)や賊(ぞく)。

 信(誠実)を好んでも学問をおろそかにすると、盲信におちいりお互いに傷つけ合うことになる。これを「賊」という。
*信・・背かないこと、言をたがえないこと
    (信念、信義、忠信)
*賊・・損なう、害すること、反逆者、不忠者 
     (逆賊、賊臣) 
 二、二六事件や五、一五事件を起こした青年将校たちは、一人一人は素晴らしい若者であったけれども、ただ純粋で信念に基づくと言うだけではその行動は評価できません。残念ながら学問に裏付けられた知性と理性がなかったばかりにあのような行動に走り、日本が間違った方向に突き進んで行く原因をつくってしまったのです。


直(ちょく)を好(この)めども学(がく)を好(この)まざれば、
                        其(そ)の蔽(へい)や絞(こう)。

 直(正直)を好んでも学問をおろそかにすると、人に対して厳しく当たり人情味が無く、その害として窮屈になる。このような者を「絞」という。
*直・・ますぐなこと まがってないこと
*絞・・しめること 
 「直と礼」との関係を今度は「直と学」の関係で説いています。言っている事は同じです。礼も学によって高められる事から、全ての基本はやはり学ぶ事から始まります。
 環境保護団体「グリーンピース」に所属する一般の活動家はとても生真面目で善良な一市民です。しかし彼等は自分の世界観でしか物事を考える事が出来ないためにチョットでも自分の感情にそぐわないとヒステリックなまでに拒否反応を起こし過激な行動へと走ってしまいます。
 これなどは「直を好めども学を好まざれば其の蔽や絞」の典型です。(最もグリーンピース上層部の連中は、政治的野心と資金集めの為にはどのような派手なパフォーマンスを行うのが有効なのかを考えて行動を起こしています。そしてその行動はもし寄付を頂けないのなら次はおたくの企業を標的にしますよ・・・という脅かしの意味も持っており、如何に企業から寄付金を引き出すかといった我欲によって過激な抗議行動をプロデュースしているのです。環境保護という純粋な気持ちで下部の活動家達に行動指示を出しているのでは決してありません)


勇(ゆう)を好(この)めども学(がく)を好(この)まざれば、
                         其(そ)の蔽(へい)や乱(らん)。

 勇を好んでも学問をおろそかにすると、単純な思考しか出来ず、血気の勇に走り、無秩序となり、世の中が乱れる。これを「乱」という。
*勇・・いさましいこと、心が強くて物事に恐れないこと、いさぎよいこと
*乱・・みだれること、秩序がなくなること
 これも前回「勇と礼」のところで学んだことを孔子は学問と言った観点から強調しています。
 アメリカ大陸を発見したと言われているコロンブスは、実は少年のときにマルコポーロの「東方見聞録」でジパング(日本)の事を知り、何時か黄金の国ジパングに行って大金持ちになろうと夢を抱いていたのです。そしてコロンブス(イタリア人)は39才のときにスペインのイサベラ女王の援助を受け、当時は東洋のジパングに向かうには東航路を取るのが常識でしたが、その常識をくつがえし、西に進む航路を選びました。これは非常に勇気のいる決断でした。当時はまだ海の西の果ては大きな滝となっていて、船もろとも奈落の底に落ちると信じられていました。しかしこの彼の行動により、中南米大陸原住民の悲惨な歴史の開幕となったのです。
 スペイン人達は黄金を手に入れるためには手段を選ばず、略奪暴行をほしいままに行い、アステカ王国、インカ帝国を滅ぼしました。約一世紀の間に1億1千万人もの原住民の命が犠牲になりました。(この中には直接の殺戮による犠牲の他にヨーロッパ人がもたらした伝染病である天然痘やチフスによる死者も含まれています)これは勇気ある行動が人類を不幸のどん底に陥れた例です。
まさに「勇を好めども学を好まざれば、其の蔽や乱」そのものです。


剛(ごう)を好(この)めども学(がく)を好(この)まざれば、
                        其(そ)の蔽(へい)や狂(きょう)。

 剛を好んでも学問をおろそかにすると、心に柔軟性を失い、自分の意にまかせて軽挙妄動となり、その行動は気違いざたになる。これを「狂」という。
*剛・・つよくかたいこと 
*狂・・気がくるうこと、心の状態を失すること、一事に熱中し溺れる人(マニア・おたく)
 意志が固いが為に自信過剰で頑固者になりやすく、時としてその行動は常人を逸脱し狂人へと化していきます。
 ソクラテスは「無知の知」と言っています。自分の無知を知ることが先ず第一歩です。自らの無知を知ることによって人間は成長するといっています。
 ただ優しいとか、真面目だとか、純粋であるとかそれだけでは人間としては不十分です。優しい、真面目、純粋、勇気これらは必要条件ではあるけれども、必要十分条件となるには学問によって知識を得て理性と知性を養わなければいけません。
 どんな徳でも学問によっての裏付けがなければ、美徳と悪癖は紙一重でどちらにでも転ぶと孔子はおっしゃっているのです。
 空手に限らずスポーツだけをやっていたのでは、その道でどんなに一流であっても、決して人格的に優れた人間にはなることが出来ません。スポーツや武術で養われるのは強い意志と気力体力だけです。優れた人間となるためには学問によって知識を蓄え、見識を広めなければ一流の人物にはなれません。皆さんも空手だけでなく、是非、勉学にも励んで欲しく思います。以上




瀬戸塾新聞第29号掲載記事

 

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