第回十七 論語勉強会
瀬戸塾師範 瀬戸謙介
(原文) 顔淵季路侍、子日、盍各言爾志、 子路日、願車馬衣軽裘、與朋友共、 敝之而無憾、 顔淵日、願無伐善、無施労、 子路日、願聞子之志、 子日、老者安之、朋友信之、少者懐之、 |
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(書き下し文) 顔淵(がんえん)、季路(きろ)侍(じ )す。 子曰く、盍(なん)ぞ各(おのおの)爾(なんじ)の志(こころざし)を言わざる。 子路(しろ)曰く、願わくは車馬(しゃば)衣(い)軽(けい)裘(きゅう)、朋友(ほうゆう)と供にして、之(これ)を敝(やぶ)りて憾(うら)みなからん。 顔淵(がんえん)曰く、願わくは善(ぜん)に伐(ほこ)ることなく、 労を施(ほどこ)すことなからん。 子路(しろ)曰く、願わくは子の志を聞かん。 子曰く、老者(ろうしゃ)には安(やす)んじられ、朋友(ほうゆう)には信ぜられ、少者(しょうしゃ)には懐(なつ)かれん。 公治長二六 |
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(本文訳) 顔淵と季路がそばにいたときに、孔子さまがおっしゃいました。「それぞれ君達の思い、気持を言ってみないか」 子路が言いました「車(馬車)や馬、着物や毛皮の外套など私の大切なものを友達に貸してボロボロにされてもくよくよしない。そのような性格になりたいです。」 顔回が言いました「善い行いをしてもそれを自分の手柄とせず、いやなこと、難しいことを人に押しつけることのない人間でありたいです。」子路が「出来ましたら、先生の理想とする姿を聞かせては頂けないでしょうか。」と言いました。先生がおしゃいました。「老人からは安心して頼りにされ、友人には信頼され、子供には懐(なつ)かれ慕われる、そういう風になりたい。」 |
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(解説) 子路は多分この時、自分の大切な物を友人に貸して壊されたのではないかと思います。親しい友人だから良いじゃないかと自分に納得させようと思っても心の中では腹が立って仕方がない。そういった自分の了見の狭さを嘆いたのではないかと思います。 物欲 人は高価な物、大切な物を持っていると人に見せて自慢をしたくなります。テレビで「セレブの邸宅訪問」といった番組がよく放映されますが、これ見よがしにあちこちに飾ってある置物やクローゼットにずらりと並んだ洋服、宝飾品等の値段をさりげなく言って自慢し喜んでいる。こういった人に限って物欲と嫉妬心が強いものです。 私は今まで子供の友達や空手を通して多くの子供達を見てきましたが、そこで一つ言える事があります。子供の要求に応じて次から次へと贅沢に物を買い与えられている子供は一見満足度が高く、心広く育っているかのように考えられがちですが、その考えは間違っています。そういう子供は決して心豊かには育ちません。かえって物欲が強く、欲しいと思ったら我慢が出来ず、どんな手段を使ってでも手に入れようと考えるようになります。欲望が満たされ続けたら心豊かに育つどころか、かえって欲望を抑える事の出来ない子供に育つのです。欲しい物を手に入れるまでは、他のことが見えなくなるぐらい欲望が心を支配し、何が何でもその欲望を満たさなければ心が収まらなくなってしまいます。しかし欲しい物を手に入れた途端に飽きてしまい放りだし、また次の物へと欲望が移っていくのです。 子路はこうした人間の我欲と戦い、如何にして心の大きな人間に成ろうかと努力していたのではないかと思います。 手柄を独り占めにしないという顔回の言葉は肝に銘じなければいけない言葉だと思います。私もそうですが、人間誰しも良いことは自分の手柄にしたいものです。良いことは全部私のおかげ、悪いことは全て他の人のせい。しかしその様な振る舞いは一時的には得をしたように思えても長い目で見ると周りの人の心は去っていきます。手柄を独り占めにせず周囲への感謝を忘れない、大変なことは率先して自ら行う。特に人の上に立つ者は部下のアイディアや手柄を横取りしやすい立場にあるのでこの言葉は心しておくべきです。 最後の孔子の言葉は気負いがなく当たり前の事のように聞こえますが、暖かみのある優しさを感じます。 子曰く、老者(ろうしゃ)には安(やす)んじられ、朋友(ほうゆう)に は信(しん)ぜられ、少者(しょうしゃ)には懐(なつ)かれん。 ここに孔子の人間性がよく表れており、理想とする人間像が描かれています。第十六回の孔子の弟子が述べた「子は温かにして而も厲し。威あって而も猛からず。恭しくて而も安し」と合わせて考えると、孔子の人間性がよりよく理解出来ると思います。 |
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**人物紹介** 「顔淵」・・顔回(がんかい)のこと。あざ名が子淵と言い、姓の顔にあざ名の一文字淵を付けてこのように呼んだ。孔子の十哲(注一)の一人、多くの弟子の中で孔子の評価がもっとも高かったのが顔回で、最愛の弟子と言われています。学問は言うに及ばず特に人格において孔子に高く評価されていました。 哀公(あいこう)問う、弟子(でし)、孰(いずれ)か学(がく)を好むとなす。孔子対(こた)えて曰わく、顔(がん)回(かい)なるものあり。学を好む。怒り(いか)を遷(うつ)さず、過ちを弐(ふたた)びせず。不幸、短命(たんめい)にして死せり、今や則(すなわ)ち亡(な)し、いまだ学を好むものを聞かざるなり。(雍也) 「哀公」・・・孔子が使えた魯の国の君主 (右訳)哀公が聞きました。あなたの弟子の中で誰が一番学問を好むといえますか。孔子は答えて、顔回という者がおりました。彼が一番の学問好きでした。怒るべき時には怒りますが、感情をあらわにして八つ当りせず、怒る方向を間違わなかった。また、同じ過ちを二度とくり返すことはありませんでした。しかし不幸にも若くして命を亡くしてしまい今はもうおりません。私の弟子の中で顔回ほど学問好きと言える者をいまだに聞いたことがありません。孔子はこのように優秀な顔回を愛してやまず、七一歳の時に彼を亡くした時「天が私を滅ぼした。」と嘆き叫んだと云われています。 「季路」・・子路(子路はあざ名で本名は由)のこと。末っ子の呼び名である季を付けて呼んだ。季路も孔子の十哲の一人で、最古参、最年長の弟子(孔子とは歳の差が九歳)である。若いころは乱暴者でしたが孔子と出会ってからは感化され弟子入りし、孔子の護衛を一手に引き受けていたといわれています。蛮勇にはやることがあり孔子からよく戒められていましたが外見にとらわれない毅然とした態度、素直さが高く評価されていました。その子路を高く評価していた言葉として子罕篇(しかんへん)に次のように書かれています。 子曰わく、敝(やぶ)れたる縕袍(おんぽう)を衣(き)、 孤(こ)貉(かく)を衣る者と立ちて、しかも恥じ ざるものは、其れ由(ゆ)なるか。 (上文訳)ぼろぼろの破れた綿入れの上衣を着て、狐や狢(たぬき)など上等な毛皮の外套(当時、貴族が着る立派な外套)を着た者と並んで立っても少しも恥じることなく毅然として堂々と立っていることの出来る者、それは由であろう。由とは子路のこと。 (注一)孔子の十哲:顏淵(顔回)・閔子騫(びんしけん)・冉伯牛(ぜんはくぎゅう)・仲弓・宰我 ・子貢・冉有・季路(子路)・子游・子夏 |
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瀬戸塾新聞第28号掲載記事 | |