第十六回 論語勉強会


瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 
(原文)
         子温而厲、威而不猛、恭而安



(書き下し文)
    
    子
(し )は温(おだや)かにして而(しか)も厲(はげ)し。
    威
(い )あって而(しか)も猛(たけ)からず。
    恭
(うやうや)しくして而(しか)も安(やす)し。  述而、三七
  
(訳)
 (し )は温(おだや)かにして而(しか)も厲(はげ)し。
 孔子さまは、とても心やさしく穏やかで人情味のある方ですが、事にあたってはとても厳しい判断を下されます。
 「惟だ仁者のみ、能く人を好み、能く人を悪む」皆さんはこの言葉を覚えていますか。万人を愛するなんて云うのは偽善者である。良い人は助け、悪人は徹底的にやっつけなければいけない。と言っているのです。まさに孔子がこの言葉を日頃から実行していたことを物語る一文です。

 (い )あって而(しか)も猛(たけ)からず。
 威厳があり、堂々としているけれど、決して荒々しさや野蛮さを感じさせません。

 (うやうや)しくして而(しか)も安(やす)し 
 とても礼儀正しく、折り目正しい人ですが、窮屈さを感じさすことなくむしろ側にいると安らぎさえ感じます。



 (解説)
 この文を読むと、本当に孔子さまは人間味溢れたとても素晴らしい人だという事を実感します。親が子供に接する態度はこう有らねばならないとつくづく思います。
 躾と称して子供に対して虐待を加えたり、何の判断能力も無い子供に何万円もする有名ブランドの服を買い与え、贅沢させ甘やかすのが愛情だと思っている親。また我が子をペットと勘違いして、ペットを育てるかのような気持ちでわが子に接している親などを見受けますがどれも親としては失格です。
 先日お会いした児童相談所の人が「子供は大好きなのだけれども、2歳ぐらいになって自我が出てくると、もう可愛くないといって養育を放棄する親がいる。しかたなくその子供を児童相談所で預かる。するとまた赤ちゃんが欲しいと言って生む。生まれて2歳ぐらいまではとにかく可愛がるが、自我が出てくると自分の思い通りにならないと言って養育を放棄する。これを繰り返し、全く親とは呼べない困った親がいる」と嘆いていました。この話しは、まさに我が子をペットとしか思っておらず、親としての自覚が全く有りません。まさに驚きですが、今の世の中にはこういった親も少なからずいるのです。
 子供に対しては、孔子さまのように包み込むような愛情で接しながらも善悪の区別をしっかりと教え、そして尊敬されるような親でなければいけないと思います。

瀬戸塾新聞第28号掲載記事

 

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