第十五回 論語勉強会

〜「過ち」に関する四編〜

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 
(原文)その1
     夏曰、小人之過也必文、


(書き下し文)
    夏(か )曰わく、小人の過(あや)まちや、必ず文(かざ)る。
                                 子張(八)

  
(訳)
 小人は過ちを犯したときに、自分の非を認めず必ず言い訳する。
 *小人・・徳・器量のない人、人間としての器が出来ていない人

 
 (原文)その2
    子曰、過而不改、是謂過矣、
 
 (書き下し文)
   子(し )曰わく、過(あや)まって改めざる、是を過(あや)まちと謂う。
                               衛霊公(三〇)
(訳)
  過ちを犯しても素知らぬ顔をして改めない、これを本当の過ちという。

  
 (原文)その3
     子曰、君子不重則不威、學則不固、
        主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、

 (書き下し文)
    子曰く、君子、重からざれば則ち威(い )あらず。
      学べば則ち固(こ )ならず。
      忠信を主とし、己に如(し )かざる者を友とすること無かれ。
      過(あやま)てば則ち、改むるに憚(はばか)ること勿(な )かれ。                                    学而(八)
(訳)
 ・君子たる者、重く堂々としていなければ威厳がなくなる。
 ・学問に励むことにより、人は視野が広がり頑固でなくなる。
 ・人には常に誠実な態度で接することが大切であるが、自分より劣っている者を友達に持ってはいけない。努力もせず、自分を磨こうとしない者と付き合っていたのでは自分は決して向上しない。
 ・過ちを犯したときには躊躇せず、周りの思惑や、誤りを認めたときに起きる結果などを考えず即座に改めることが大切である。
(解説)
 人間はだれでも失敗や過ちを犯します。ですから孔子は過ちを犯すことを否定してはいません。大切なのは過ちを犯した後の態度だと戒めています。
 人は誰しも過ちを素直に認めたくありません。何とかその場をつくろって、出来るものならば言い逃れたいと考えます。しかし過ちを犯しながらも反省せず、行動を改めなければ、事態は益々深みにはまっていき、最後には抜き差しならない状態に陥ってしまいます。「不二家事件」がいい例です。社内ではすでに不正をキャッチしていながら「雪印乳業」の二の舞になるのを恐れて公表せず、対策も先送りにしたおかげで最悪の事態となってしましました。
ですから孔子は「過てば則ち改むるに憚ること勿かれ」と、傷が浅いうちに過ちを認めて対策を講じた方がかえって世間からは信用されますよ。と説いています。
 (原文)その4
 子貢曰、君子之過也、如日月之蝕焉、過也人皆見之、更也人皆仰之、

 (書き下し文)
  子貢(しこう)曰く、君子の過(あや)まちや、日(じつ)(げつ)の蝕(しょく)するが如(ごと)し。過(あや)まつや人皆之(これ)を見る。
(あらた)むるや人皆之(これ)を仰(あお)ぐ。 
                               子張(二十一)
(訳)
 君子の過ちは、日食や月食をながめるようなもので、過ちを犯すと、普段尊敬され、注目されているだけに必ず世間に知れ渡る。過ちに気づき、改めれば人々にかえって尊敬される。
(解説)
過ちを犯したときに人はどのような行動を取るべきなのかを孔子はさまざまな角度から説いています。人は生きている限り必ず過ちを犯します。しかし、過ちを犯さない事よりも、過ちを犯したときにどのような態度をとるか、その行動によって人は評価されますよと孔子は言っています。
 普段いくら良い事を言っていても、いざとなったときには逃げ腰になり言い訳ばかりする人がなんとこの世の中には多い事か。私達はもっと腹の据わった人生を歩まなければいけないのではと思う昨今です。

 

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