第十三回 論語勉強会

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 
(原文)その1
     子曰、古者、言之不出、恥躬之不逮也、


(書き下し文)
      (し)(いわ)く、古者(こしゃ)、言(げん)をこれ出(い)ださざるは、
      躬
(み)の逮(およ)ばざるを恥(は)じてなり。
                                里仁(22)

  
(訳)
 「昔の人が言葉を軽々しく喋らなかったのは、言ったことに対して
  実践がともなわなかった時のことを恥じたからです。」「言うは易く、
  行うは難し」
  *躬・・・みずから、自分、自分で行う

 
 (原文)その2
    子曰、君子欲訥於言、而敏於行
 
 (書き下し文)
     (し)(いは)く、君子(くんし)は言(げん)に訥(とつ)にして、
      行
(こう)に敏(びん)ならんと欲(ほっ)す。
                             里仁(24)


(訳)
  君子は多くを喋らず、行動において敏捷でありたいと望む。」
  *訥(とつ)・・口が重い、どもる、遅くゆっくり言う

  
 (原文)その3
     子貢問君子、子曰、先行其言、而後従之、

 (書き下し文)
       (し)(こう)、君子(くんし)を問(と)う。
       子
(し)(いは)く、先(ま)ずその言(げん)を行(おこな)い、
       而
(しか)して後(のち)にこれに従(したが)う。
                                為政(13)


(訳)
  子貢が、君子とはどのような人をさすのかをたずねました。
  「言葉に出して言おうとしたことを先ず実行し、しかる後に行動
  したことの意義を話す。このような人を君子と呼ぶことが出来る」
  「不言(ふげん)実行(じっこう)」


 (原文)その4
    子曰、剛毅木訥近仁、
 (書き下し文)
  子(し)(いは)く、剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)、仁(じん)に近(ちか)し。
                                 子路(二七)

(訳)
 「意志が強く、無骨で飾りけがなく口数の少ない人は、道徳の理想とする仁者そのものではないが、仁に近いと言ってよい」
 *剛毅・・・意思がしっかりして物事に屈しないこと。すぐれて強いこと。
        「剛毅な性格」
 *木訥・・・質朴で無口なこと。無骨で飾りけのないこと。
        「木訥な青年」
 荻生徂徠も剛毅木訥について、「剛毅の人は、多く是れ質撲(しつぼく)にして言に拙(つたな)し。ゆえに剛毅(ごうき)木訥(ぼくとつ)と曰(い)ふ」と言っています。
 「剛毅木訥」と正反対なのが以前紹介した「巧言令色鮮し仁」です。
 今回揚げた四つの言葉を見ると、当時も口ばかり達者で世渡りの上手い人が如何に多かったかがうかがえます。孔子はそのような人を戒めるために「喋るよりも行動で示そう」と説いています。
 老子も「信言は美ならず、美言は信ならず。善なる者は弁ぜず、弁ずる者は善ならず。」と言っています。
 真実をのべた言葉は心地よいものではない。美しく響きの良い言葉(美辞麗句)には真実みがない。正しい心を持っている人は多く喋らない、よく喋る者は心に一物を抱いている。
 言葉というものは、心にない事でも平気で発する事が出来きます。人間という生き物は、その場の雰囲気で自分を弁護するためや自分を大きく見せようとして平気で出来もしない事を言いがちです。
 現代の日本人はよく喋るようになりました。街頭インタビューでマイクを向けられるとタレント並みに皆よく喋ります。有る意味、自分の意見をはっきり言えるようになり喜ばしいことですが、口だけが達者になると口先八寸になり、話しに誠実さや真実みが無くなってしまいます。政治家、コメンテーター、経済評論家など無責任な発言が今やお茶の間に飛び交っています。公約を実行しなくとも、経済の予想が外れても、自分が過去に発言した言葉など何処吹く風の如く全く恥じていません。今の世の中、言葉に対する責任がまるでなくなってしまいました。
 言葉はとても大切です。そもそも言葉は人間相互の意思疎通のために発達したものです。ですから人の意見を聞いたり自分の意見を述べたり、意思の疎通をはかるために言葉は欠かせないものです。自分の意見をはっきりと相手に伝える為にも言葉をしっかりと学び理解しなければなりません。
 孔子は「世の中あまりにも無責任な発言が多すぎる。行動の伴わない言葉など何の意味もない。」と言うことを伝えたかったのです。
私は学生時代、机の前に「行動なくして解決無し」と紙に書いて貼っていました。いくら空想、夢想を語っても、行動しなければ実現しません。行動することにより始めて物事は動き出します。そして実行は言葉と違って誤魔化しがききません。
 有り難い金言、名言なども、心よこしまな人にとっては自分を正当化したり、相手を信用させ騙す為の武器として使ったりします。気をつけたいものです。
 

 

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