第十一回 論語勉強会
(原文) 子曰、君子求諸己、小人求諸人、 |
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(書き下し文) 君子(くんし)は諸(こ)れを己(おのれ)に求め、 小人(しょうじん)は諸(こ)れを人に求む、 衛霊公第十五 |
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( 解釈 ) 「君子は自分の身に起きた全ての出来事に対して謙虚に受け止め自分自身に責任を求め反省をする。しかし、小人は他人の命によって行動し、失敗すれば他人のせいにして反省をしない。」 「諸」 諸々な出来事 人は自分の身に起きた良いことや成功などは、自分が努力したからこのような結果が生まれたのだと自慢しますが、失敗や自分にとって不都合なことはとかく他人や環境のせいにします。しかし失敗を他人のせいにしても、そこからはなにも生まれてきません。自分の身に起きたことはしっかりと受け止め考え反省する、そうすることにより人間は成長していきます。反省せず他人に責任を転嫁すれば気は楽かも知れませんが、それでは人間としての成長がありません。 「あいつの所為(せい)でこうなった」「誰が自分をこの様な環境におとしいれたのだ」などと考え、かえって人を恨むようになります。 運命を信じますか? 誰も自分の両親を自分で選ぶことは出来ません。気が付いた時にはすでに今のお父さんお母さんの下に生まれていたはずです。国もそうです。このように、どうしても自分で選ぶことの出来ない自分に降りかかってきた出来事、これも運命と呼ぶかも知れませんが、こういう事柄は「宿命」といいます。「宿命」は絶対に変えることが出来ませんが、運命は心掛けしだいで変えることが出来ます。自分の運命は自分で切り開き変えることが出来ます。これは人間だけが持っている特権です。 運命とはどのように変化するのか 「常に善いこととは何かを考え、追求し、善いことを実行すれば、人生は明るく善い方向へと向かっていきます。しかし、悪いことを考え、悪事を実行すればそこには必ず悪い仲間が集まり、悪い方向へと人生は向かっていきます。」 運命というものは、その人の考え、精神、そして実行する行為によって常に変化するものです。 幸せな人生を歩みたいと思うのならば、やはり善い人間に成らなければ幸せな人生を歩むことは出来ません。善い人間に成ると言うことが絶対条件です。善い人間とは、人の役に立つ人間の事です。人はこの世に生まれてきた以上、少しでも世の中に役立つ人間に成らなければ生まれてきた意義がありません。 人は、生きている間にさまざまな出来事や事件に遭遇します。中には偶発的な事件もありますが、ほとんどの事件はその人の今まで歩んできた人生観が招き入れたものと考えても過言ではありません。 小林秀雄は「人は性格にあったような事件にしか出くわさない」と言っています。皆さんも今まで自分に起きたさまざまな出来事を振り返ってみてください。今までに遭遇した嫌な出来事、或いは楽しかった事、それらのほとんどは自分の考え、思い、行動が招き寄せたものだったのだと気付くことと思います。人生は心に抱く思いによって決まるのです。 自分の人生はつまらない人生だと思っている人いませんか?或いは、自分の身に降りかかってきた嫌な出来事などを全て人のせいにしている人はいませんか?(親の無理解で、あいつさえ居なかったなら、虐められて学校が嫌になった、等々) 自分の人生をつまらなくしているのは自分自身だということに気付くべきです。 「君子は諸れを己に求め、小人は諸れを人に求む。」短いけれど、なかなか味わい深い言葉です。 |
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