第十回 論語勉強会
(原文) 子曰、由、誨女知之乎、 知之為知之、不知為不知、是知也 |
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(書き下し文) を誨(おし)えんか。 これを知るをこれを知ると為し、 知らざるを知らざると為す、 これ知る為り 為政十七 |
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( 解釈 ) 「由や、あなたにこれを知ると言うことはどのようなことなのか教えましょう。 自分が知っていることを知っていると認識し、知らないことを知らないとはっきりと認識する。これが物事に対して「知る」と言うことです。」 由とは孔問十哲の一人、子路の事です。子路は孔子の弟子の中では最年長、最古参の弟子で九歳年下の門人です。若いころ乱暴者で遊侠の徒であった子路は孔子と出会って感化され弟子入りしたと言われています。一本気で飾り気が無く、ずけずけと孔子に何でも言い、また孔子はこういう性格の子路を掛替えのない弟子だと思っていました。子路が孔子に霊魂の世界や鬼神など理屈では理解の出来ない世界のことを聞くので子路にこのようなことを言ったのです。「子、怪力乱神を語らず」(述而二〇) 「怪」とは怪異、怪しい不思議なこと、ばけもの等不可思議なこと。「力」とは人間離れした豪傑、勇士のはなし。「乱」とは世の中をみだす行為。「神」とは鬼神のことです。「超常現象や神など人間として理解しがたいことに関して私は語らない。」つまり知ることの出来ない世界のことをあたかも知っているかの如く語ることを強く戒めています。即ち「知らざるを知らざると為す」です。 空手を習いに来ている子供たちが、初めて平安初段の形を習って順序を覚えると、次の稽古の時に「平安初段をやるぞ」と言うと「平安初段は覚えたもん、もう出来るから次の形を教えて」と言います。しかし稽古を積んで色帯になると、そのようなことは言って来なくなります。つまり、知っているという事と、出来るという事との違いを理解したのです。 孔子(紀元前551〜479年)とほぼ同時代に世界の三代聖人と呼ばれている、釈迦、孔子、ソクラテスが(紀元前500〜400年)出現しています。その孔子が言った言葉と同じことを、「無知の知」という言葉でソクラテスも言っています。 ソクラテスはギリシャ中の賢人を訪ね歩き「勇気とは何か」「美とは何か」「正義とは何か」「死とは、生とは、幸福とは」等を聞いて歩いたが、誰一人として正確に答える事が出来きませんでした。これらの問いに関してソクラテスは自分自身も答える事が出来ないことに気付き、そのことに気付かず自分は「賢者」だと思っている人に比べ、自分は「無知の知」と言う点で勝っていると考えました。 「人は無知である自分に気付いたとき、自己満足することなく、真の知に近付こうとする努力が始まる。こうして人は単なる生き物ではなく、より良き人間として生きるのである。」とソクラテスは述べています。 世間というものは、活躍している時には美辞麗句を並べ一斉に持ち上げるが、一旦つまずくとそれ見た事かと掌を返したように非難し始めます。いい加減で無責任です。 サッカーのワールドカップで日本は残念ながら予選リーグで敗退しました。負けた途端に世間はしたり顔で一斉にジーコジャパンを総括し非難し始めました。しかし非難している多くの人は物事の核心を突いて話しているつもりになっていますが、彼らはただの情報収集家です。新聞やテレビなどのコメンテーターの説を声高らかに代弁しているにすぎません。また、新聞、テレビなどのコメンテーターたちも自分に直接関わりのない事柄を、自分が傷つかないことをいいことに高飛車に批判することによって自分はいかに知識を持っているかをアピールし、目立つことによって優越感に浸っているだけなのです。要するにほとんどの評論家は無責任なただのおしゃべりにすぎないのです。孔子やソクラテスはこういうことを戒めているのです。 「知行合一」本当に物事に対して「知る」と言う事は、その知識がその人の行動を支配しなければそれは「知」とは言えません。知ると言う事は実行する事であって、実行しなければ知は、知ではなくただ単なる物知りです。 |
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