〜道場訓講義その4 「誠の道を守る事」〜

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 「誠」とは、私達が今までこの勉強会で取り組んできた、「努力の精神を養ふ事」「礼儀を重んずる事」「血気の勇を戒むる事」この三つの訓の総集編のようなものです。武士が求めた窮極の道がこの「誠」です。
「誠」この精神を、武士は最も崇高な徳と考えていました。「誠」とは、端的に言えば誠実」「真心」の事です。仁、義、礼、智、信、これらすべての心が備わり、形となって表れた行動それが「誠」です。
(注1)四書の中の一つ、中庸に誠についてこのように書かれています。
 「誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なり。誠なる者は、勉めずして中たり、思わずして得、従容として道に中る、聖人なり。これを誠にする者は、善を択びて固くこれを執る者なり。」
 (訳: 誠とは(天地万物の主催者、神)が求めた窮極の道である。この誠を身に付けるように努力するのが人としての道である。誠が身に付いている人は、努力をしなくても、目的に向かい、あれこれと思慮を巡らし迷うことなく自然と目的を達成する。自由にそしてゆったりとしていてそれでいてぴったりと道にかなっている。これが聖人である。誠を実現しようと勉める人は、なにが善であるかをしっかりとわきまえ、その上でそれをしっかりと守って行く人である。)
 そして、子思(中庸を編纂した人)は「誠」を身に付けた者は神と同格であると考えました。誠は、広々として深遠であり、しかもはるか未来にわたって限りない性質を持っていて、意識的に動かすことなく相手を変化(感化)させ、また意識的に働きかけることなく、自らの目的を達成する力を持っていると説いています。 
孟子も、「至誠にして動かざる者は、未だこれあらざるなり」と言っています。
 (訳: 人々は、「至誠」から生まれ出る行為に対しては、黙っていても信頼し、その人の目的を達成してくれるものだ。)
 吉田松陰、山岡鉄舟、西郷隆盛など多くの武士が修行し求めた、最高の心の置き所としたのが「至誠」でした。(至誠の至は極めるの意味)
 西郷隆盛は「南洲遺訓」の中で至誠に関して
「事の大小を問わず、どのような事でも正道を歩み、至誠を推し進めよ。決して一事の策謀を巡らして事を成そうとしてはならない。多くの者は、事柄が上手く行かなくなった時に、策略をめぐらそうとするが、しかし策略を用いて、一時は成功したとしてもその策略のつけは決らず後々になって表れて駄目になってしまうものだ。
 正しい道をもって之を行うならば、一見遠回りのように見えるが、これが本当は成功への早道なのである。」と述べています。「百術一誠にしかず」百の策略も一つの誠にはかなわない。ということを言っているのだと思います。
これまで三回にわたり、道場訓の「努力の精神を養ふ事」「礼儀を重んずる事」「血気の勇を戒むる事」について勉強してきました。ここでもう一度、三つの訓を復習します。
一、努力の精神を養ふ事
 この訓では、
「努力は何のためにするのか」(努力をしなければ、どんな願いも適うことはない)
「努力するにはかならず正しい志しが大切」(歪んだ志を持っての努力は世の中を間違った方向へと導く)
「努力する事によって自分が向上し、智を得るよろこびの素晴らしさ」
「人生における真の喜びは、努力の中からしか生まれない」などを勉強してきました。
一、礼儀を重んずる事
 この訓では、
「礼儀の基本」(自分を卑しめることなく、いかに相手に誠意を伝えるか)
「礼儀には仁の心が備わっていなければ何の価値もない」(自分の身に置き換えて相手を思いやる感覚、痛みを分かち合う精神こそが礼儀の基本)
「形の大切さ」(形は大切ではあるがその中に真心が無ければいけない、いくら心だと言ってもそれが形として表れなければそれは無いに等しい)但し、慇懃無礼と言う言葉が有るように、心の無い礼はいくら作法に則った行いであっても「礼」とは認められない。なぜならそこには、人間として最も崇高な徳である所の「誠」が無いからです。新渡戸先生も「真実と誠意が無ければ、その礼は道化芝居か見せ物のたぐいである」と言っています。
「真の礼儀とは」(相手の持っている価値を認め、それにふさわしい尊敬の念を込め、その尊敬の念が形となって表れたものでなければいけない)などを勉強してきました。
一、血気の勇を戒むる事
この訓では、
「勇の行動には必ず正義が伴っていなければいけない」(義を見てせざるは、勇なきなり)
「正義を貫くには」(「自律心」を養い、欲望を抑え込む強い意志を鍛えることにより初めて正義を遂行することが出来る)
「真の勇者とは」(悪人の敵となりうる勇者でなければ善人の友とはなりえない)などを勉強してきました。
 すでにお解りと思いますが、道場訓の基本となった考えは、儒教の五常の教え「仁、義、礼、智、信」です。そして道場訓は空手を修行する者にとって守らなければいけない心掛けとして五常の徳を解りやすく表現したものです。特に「血気の勇を戒むる事」などは本来ならば「正義をつらぬく事」と書けば良いのかも知れませんが、空手を始める者は血気盛んな者が多く、「正義をつらぬけ」などと表現しようものならば、正義本来の意味も解らず正義の名の下に暴れる者が出てくる恐れがあるので、まずは頭を冷やす事が大切だといった意味合いから「血気の勇を戒むる事」としたのではないかと思います。
ではここで五常の教え「仁、義、礼、智、信」を簡単に説明します。
仁・・人間として最も大切な心、「思いやり、優しさ」つまり仏教で言う所の「慈悲」、キリスト教の「愛」のことです。しかし武士道では「仁」に関して儒教ほど多くは語っていません。それは日本人の考えの根本に「性善説」があるからです。ですから「仁」は当然人間として生まれて来たのならば、持って生まれた心なのであえて多く語る必要はないと考えたからです。
 武士道では「仁」のことを「武士の情け」と表現しました。そしてその武士の情けは、優しさを発揮する場合でも、盲目的な衝動からではなく、゛正義゛に対する適切な配慮を認めた上での「優しさ、思いやり」でなければいけない。つまり、正義に基づいた厳しい慈悲でなければならないとされました。つまり、仏教やキリスト教の説く所の盲目的な愛は本当の愛ではない、本当の愛はもっと厳しいものであると武士道では説いています。
 義・・義とは正義のことです。損得勘定を抜きにした、人間としての正しい道を歩む、これが義です。(血気の勇を戒むる事を参照)
 礼・・他人に対する思いやりを目に見える形で表したものです。(礼儀を重んずる事を参照)
 智・・正しい判断力(物事を理解し、是非、善悪を弁別(見分けること)する)心の作用即ち物事を正しく理解し行動の判断基準を促すのが智です。「知」はただ単に知ること、悟ることで、行動が伴わないという意味で区別されます。
 武士道では「知識のための知識」は重要視されません。知識があるだけでは、ただ単なる物知りであって行動と結びつかなければ何の価値も見いだしません。 「知っていても行はざれば、知らざると同じなり」と言う実践哲学で、会得した知識を実際の行動に活かさなければそれは知らないのと同じである。とされ、行動の伴わない知識はなんの役にも立たないと見なされました。
三浦梅園(江戸時代の儒学者)は、
「論語を少ししか読まぬ者は、少し衒学(学問のあることをひけらかし、自慢すること)くさい。多く読めば読むほどそのものは衒学くさくなって両者ともども我らにとって不愉快な相手である。論語の知識をいくら頭に詰めても、学者の行動と同化することがなければ、それは武士に求められる真の知識とはなりえない。」と説いています。
 信・・嘘をつかず、約束を守ることが信です。徳を身に付けた人には自然と信用、信頼が付いてくるものです。つまり、信とは外からその人を見て気付くものです。智とは自分で気づくが、信は自分では気づかず、他人が気づくことです。
戦後の日本は目覚ましい発展を遂げました。その理由の一つに日本人に対しての信用があったからです。国内の商取引には手形での決済が多く用いられていますが、外国との取引、貿易では必ず現金決済でなければ商談は成立しません。しかし、戦争に負けた日本は無一文でした。原料を輸入したくともお金が有りませんでした。その時、諸外国、特に東南アジアの国々は日本人は一旦約束したことは必ず守ると言って、手形決済に応じてくれたのです。そのお陰で日本は材料を輸入することが出来、経済面において目覚ましい発展を遂げることが出来ました。これが信用「誠」です。戦前、多くの日本人の心の中には「誠」の精神が宿っていたのです。
五常の相関関係
「仁義礼智信」の五常はそれぞれが独立して存在しているのではなくそれぞれがお互いに補いあい、高めあうといった相乗効果を持っています。
仁と義とは一対であり、そこに智が無ければ正しく作用しません。
伊達政宗は、
「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」と言ってどちらにも偏ってはいけないと戒めました。つまり、仁と義とがうまく調和している中に正しい姿がある。その調和を促すのが「智」である。と説いたのです。勇は義をともなっていなければただ単なる暴徒であり、義と勇とが一体となるとそこには礼節が生まれます。正義を遂行するにあたって、相手に対して礼儀をともなっていなければそれは正義とは言えない。そして仁のともなっていない礼はまやかしです。つまり慇懃無礼なのです。この様に五常の徳目はお互いに相乗しあいながら一つに結び付き、人間の生き方として表に表れたのが「武士道」「誠の道」です。
 武士道が最も崇高な徳目とした「誠」は、儒教の五常の精神「仁、義、礼、智、信、」を総合したもので、同時に武士道の考えの基本となっています。また、「誠」と言う字は、「言」と「成」という部分から出来ています。「言ったことは、必ず行動する」つまり、口先だけでなく必ず行動がともなっている。いったん約束した事は命に代えてもそれを実行する。と言った「言行一致」の精神を表す徳目でもあります。ここから「武士に二言はない」と言った言葉が生まれました。武士にとって嘘をつく、あるいはごまかすことは卑しく臆病者と見なされました。武士は一旦口に出した事は、命に代えても実行しなければならないといった重みを持っていました。ですから、約束に対して証文など無くても実行されました。もし武士に対し証文を求めたら、それは彼を信用していないと言うことを意味し刃傷沙汰に成る場合もありました。それほど、武士の一言は重かったのです。
 キリスト教の教えの中に「誓う事なかれ」といた言葉があります。東洋の思想は基本的には孟子が唱えているように「性善説」です。しかし西洋の思想は「性悪説」が基本となっています。ですから西洋は契約の社会なのです。人を信用していないのです。だから契約書で相手を縛るのです。キリスト教の誓いも、初めは神とだけの契約の意味であったのが段々と人と人との約束にも用いられ始めました。そして、誓いは約束の内容によって段階が細かく分かれました。この約束は三段階目の誓い、この約束は十段階目の誓いと、約束の重要度によって誓いの範囲が細かく決められそれ以外の事は守らなくても良いとされました。彼らが最終的に忠誠を誓うのは、イエス・キリストであり、バイブルの教えであれば良かったのです。ですから、人との約束などは守らなくてもかまわないといった間違った考えが蔓延しました。そこでキリストは、誓いは神とだけであり、人々との約束は誓わなくても人間として守るべき事は守らなければいけないと言った意味で「誓う事なかれ」と説いたのです。
 日本の社会では、契約書を交わすのは相手に対して失礼だという考えが、伝統的でした。開国の後、諸外国との取引で多くのトラブルが起きました。それは、日本人は交渉段階での話し合いで了解をし、約束したことは契約書に記載しなくても守るべきだと考えていた事に原因がありました。しかし、西洋人は約束を破った事がどんなに理不尽な場合でも、その事項が契約書に書かれていなければ、自分に損になる事は履行する必要はないと突っぱねます。西洋では契約書が全てであり、契約書に記載された事項以外は守らなくても良いとされています。
 西洋では「人は利害によって動くもの」と言った考えが、物事を考えるときの一番の基本とされてきました。今、我々が暮らしている社会、合理的社会はその典型です。合理主義とは、すべての価値判断を「損か得か」で判断します。どちらが得かの相対的な価値判断が物事の基準なのです。能率主義、生産主義、そして管理社会もその判断基準を基に生まれました。そこでは数字では表すことの出来ない大切なものは評価されず、不合理なもの、無駄なものとしてすべて排除されてきました。
 従来日本は、武士と領主は「忠」と言った心で結ばれていました。しかし西洋では、騎士と領主は契約つまり利害関係で結ばれていました。ですから騎士によっては二人の主君に仕える者も実際にいました。しかし契約さえきちんと果たしている限り非難される事は無く、実力があるからこそ多方面から声が掛かる、つまり「二君に仕える」は契約、合理主義が伝統の騎士にとってはむしろ名誉なことだったのです。
ニーチェが「正直」について
「正直はいろいろな徳のうちで最も若い徳である。言い換えればそれは近代産業の養子である。近代産業という母がなければ、誠は最も高い教養の持ち主の心だけが養子として育てることが出来るような、名門の生まれの孤児のようなものであった。」と書いています。つまり、近代産業以前には「正直」「誠」といった徳は西洋では存在しなかったことを認めています。要するに近代産業が発達するまで西洋では、「正直」「誠」は徳の一つとは考えられていませんでした。しかし近代産業の発達にともない「商業において正直は割に合う」と言った考えが根付いてきました。つまり、西洋では「正直」「誠」さえも、損得勘定の中から生まれた考えなのです。
 しかし、武士の社会においては、「誠」や「正直」は利害関係の外にあるもので、誠を通すことによりどのような被害、損失があろうが、人間として正しい道を守る事が名誉とされました。
新渡戸先生は武士道で
「誠は義を基本とした正しいことを守るためのものであって、西洋的な考えの損得勘定からでるものとは次元が違うものだ」と言っています。前述の通り東洋では「誠」は道徳規範の中で最高の徳であり、誠の上にしか、義、勇、仁、礼は成り立たない。誠がなければいかなる徳目を積み重ねても意味がない。と考えられてきました。しかし、残念なことに今の我々の社会においてこの「誠」がいかなる地位におかれているかは非常に疑問です。もはや死語と化したきらいさえ感じます。
 皆さんもじっくりと我が身を振り返りながら「誠」とは何かを考えてみて下さい。                     
注1 四書:『大学』『中庸』『論語』『孟子』この四つを合わせたものを四書と呼びます。これら四つの書物は儒教の代表的な経典として江戸時代までは必読書とされていました。『大学』は孔子の門人の曾子の作。『中庸』は曾子の門人の子思の作、そして子思の門人に学んだのが孟子です。もともと『大学』『中庸』は「五経」(易経、書経、詩経、礼記、春秋)のなかの一つとして伝わってきた、『礼記』の中に書かれていたものを独立させ編纂したものです。
 余談になりますが、高知県に野球で有名な明徳学園という学校が有りますが、この「明徳」は『大学』の出だしにある「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるに在り。」といった中から取ったことばです。
 (訳)
 大学で学ぶことは、輝かしい徳を身に付けそれを(世界に向けてさらに)輝かせることにある。(そうした実績を通して)民衆が親しみ睦み合うようにすることである。(睦み合う・・お互いに仲良くする)こうして、何時も最高の善の境地に踏み止まる事である。
2003/11/15 勉強会 第9回 道場訓その4「誠の道を守る事」

 

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