〜死ぬこととは〜

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 私は去年と一昨年と二人の方の死に対面いたしました。このお二方は私にとってとても大切な人でした。一人は私の大学時代の恩師です。恩師、西村先生の場合は、一昨年の6月どうも体調が優れなく病院に行ったところ末期癌で後3ヶ月と宣告されました。本人の希望で医者から直接状況の説明を受けたそうです。その日の夜私の家に電話をされ、電話に出た家内に「俺は癌にかかり後3ヶ月しか生きない、まあ仕方がない」と何事もなかったように今までの経過を語られたそうです。翌日病院に駆けつけると「瀬戸、俺は後3ヶ月しか命がない、ちょっとやり残したことが有るのでここで治療を受け体力を消耗したくない、だから2,3日したら退院するよ」とおっしゃいました。奥さんによると昨夜もぐっすりとよく眠っていたそうです。
 その後先生は退院をなされ先生が初めて教職に就かれた鹿児島に行き、教え子達と温泉に浸かり帰ってきて、次に私たちと学生時代、ゼミの合宿での思いでのある湯西川温泉にゼミ生と共に行き若き日の思い出を語らったそうです。その時残念ながら私は明治学院大学のサマーキャンプと重なり参加出来なかったことを今だに残念に思っています。先生は帰ってきてからやり残した仕事を淡々とこなし死を迎えられました。 
 もう一人の方は彫刻家池田宗弘先生の奥様です。池田先生は瀬戸塾新聞に連載されている先生で皆様もよくご存じの方と思います。先生は日本を代表する彫刻家8人に選ばれた方で、都庁の広場に先生の彫刻が展示されています。池田先生の奥様の場合は、脳梗塞で倒れられ、病院で検査をしたところ癌が見つかりそれが末期でした。ちょうどそのころ池田先生は浜松にあるカソリック教会の病院から彫刻を頼まれていました。先生はいたって健康でしたので今まで病院のお世話になったことが無く、なかなかイメージがわかず制作に苦しんでいらっしゃいました。そういったなか、奥様が入院なさりました。私が病院に見舞いに行ったある日、奥様が「池田は制作に苦しんでいました。そういったときに私が病に倒れ、私の病気を通して多くの病に苦しむ人、病を治そうと努力している人々と出会うことが出来ました。私がこうなったのは神様が与えてくれたのだと思います。これできっと池田は良い作品を作ることが出来ると思います。」と言って自分の運命をあるがままに受け入れていました。そして昨年の2月27日静かに永眠なさいました。 
ちなみにお二人の年齢は、西村先生が70才、池田先生の奥様は58才です。
 人間、追いつめられたときに初めてその者の本性が現れると言いますが、お二人の自分の死を見つめる姿には非常に考えさせられるものがありました。人間、生を受けた瞬間から死という現実が待ち受けています。死ぬ間際にこそ、その人がどのような人生観を持って生きてきたのかが解ります。悔いの残らない人生などはあり得ません。生きている以上、常に夢を見、理想を追いかけて生きています。一つの夢が実現しても又次の夢が表れてきます。ですから人はだれしも死ぬときに、やり残したことがあるといった思いはあると思います。死は常に自分の身近にあるもの、だからこそ生有る限りその一瞬一瞬を生ききることが生への執着を断ち切り、死を淡々と受け入れることができるのではないかと思います。私は空手を通して武道、武士道を学ぶということは、肉体を鍛えることによって魂を磨き、意志の力を高め、身を清め、何事にも動じず、あるがままを淡々と受け入れることの出来る精神力そういったものを養う為の修業ではないかと思います。
瀬戸塾新聞13号掲載記事(2002,3)

 

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