〜文明と文化〜

なぜ今、「武士道」なのか

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 この百年と言うもの、文明の発達は著しく私達の周囲は日々激しく変わってきました。そして私達の生活に対する考えかたも近代化の波に振り回され、自分というものを見失ないがちです。ややもすると技術の発達こそが正義だと言った考えにおちいりがちです。確かに文明は新しい物ほど良いし古い物ほど役に立たない。新しい物が出来ればもはや古い物はいらない。電気がつけばローソクはいらないし、ガスコンロが出来れば練炭などいらない。十年前のコンピューターなどは使い物にならないといった状況です。すべての物質文明においては新しい物は良く、古い物は役に立ちません。そしてその物質文明の洪水の中で生きているとその変化の早さに振り回されます。そして文明の持つ便利さや格好良さに幻惑され、自分を見失い、主体性のない空虚な人間が出来上がってしまいます。 
 確かに人類は文明の恩恵を受け、より多くの自由と、豊かな生活を営めるようになってきました。しかし文明は人間の持っている飽くなき欲望を満たすために発達してきました。そして発達の一番は戦争であり、軍事力の開発によって発展をとげてきました。文明の発達の歴史を考えてみるとこれは人類にとって本当の意味において幸福や平和などをもたらすものではありません。これ以上の文明の発達は人類の破滅へと導くものだと思います。そしてこれ以上の文明の発達が人類にとって必要なので有ろうか、もう一度じっくりと考えてみる必要があるように思います。
 人間は本来文明を大切にする以上に文化を大切にしなければならないと思います。哲学や宗教、芸術などは古いからと言って値打ちが無くなるものではありません。どんな天才的な哲学者、文学者が出てきて傑作を書き、素晴らしい文学を書き上げたとしても、やはり平家物語を読んで感動し、論語を読んでは反省させられます。天才と言われた谷崎潤一郎でさえ源氏物語を読んで感動し翻訳をしています。
  戦後の教育現場において言われたような古い道徳はすでに消滅し新しい道徳に入れ替わったと言う考えは間違いだと思います。「論語」にしろ「仏教」にしろ「キリスト教」にしろ古いからといって光りを失ってはいません。今でも衰えることなく輝いています。そして日本には日本の文化があり、その文化を盛んにすることにより世界の文化に貢献できるものと確信しています。残念なことに今の日本の教育はそう言ったところが欠落しております。日本国民全体が幼稚化し、国全体がディズニーランドと化し国自体が落語に出てくる放蕩息子の若旦那に見えて仕方ありません。
 瀬戸塾は空手を通して武道とは何かを考え追求しその中から各自が人生の哲学を見いだす場だと思っています。そう言った意味合いも含め昨年の初めより武士道の講義に取り組みました。武士道は長く日本の社会に浸透し親から子へと伝えられた道徳、人生哲学の基本です。武士道の素晴らしさは、他の宗教と違って開祖と言う人がいないことです。数百年と言う長い歳月をかけ自然発生した道徳概念であり、決して上からの押しつけではなく、日本人の心そのものです。だから日本人の心の隅々まで浸透して行き、親から子へと日常無意識のうちに当たり前のように伝えられ、自然発生的に生まれた人間として生きるための教えです。こういった教えが武士道と名付けられた由縁は、何の生産性もない武士階級が武士としての存在価値を「社会の手本となる所」に見いだしたからです。今まで社会通念となっていた常識を、自らより厳しく追及し行動として表した事から武士道と言われるようにななったのです。
 今の世の中、武士道の教えの中で最も大切にされていた「誇り」「恥」「正義」「名誉」「責任」と言った言葉が死語となってしまっているようなきらいがあります。これらを忘れてしまうと、何でも有りの「享楽的」「刹那的」“今が良ければ“別に人に迷惑をかけているわけではないし”と言った考えに走ってしまいます。
 瀬戸塾ではもう一度日本の文化である「武士道」を見つめ直し、自分を「律する」事の大切さを考えて見ようと武士道の勉強会を始めました。今後も引き続き行うつもりですので是非多くの人の参加を願っています。
瀬戸塾新聞9号掲載記事(1999,12)

 

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