「全体主義」田母神元航空幕僚長論文問題に思う

瀬戸塾師範 瀬戸謙介

 田母神元航空幕僚長が発表した論文が、政府見解とされるところの「村山談話」と異なるとして幕僚長を解任されクビになり物議を醸している。田母神論文の正否に関しての検証はここでは差し控え、後日述べたいと思う。
 
 私がこの「田母神解任事件」で一番気になったのは、「村山談話」を踏み絵にして国が思想統一をしようとしていることである。
 先ず、政府は11月11日に田母神氏を参院外交防衛委員会に招致して参考人聴取を行った。不思議なことに、いつもならばたいして国民が興味を持たない委員会でも通常の番組をキャンセルしてまで熱心に中継するNHKをはじめとして、どこのテレビ局もこの注目の委員会を生放送しなかった。しかもこれが放送各局の自主規制によるものだっだというから驚きだ。与野党いずれもが委員会を田母神氏の持論の展開の場にしては成らないと田母神参考人の発言を再三、制止していた。何をそんなに与野党ともに怖がったのだろうか。おそらく、田母神氏の論文を議論することによって今まで封じてきた歴史の真実が明らかになると、官僚や政府が国民を歴史の真実から目をそむけさせ、欺いてきたことがばれるのを恐れ、田母神氏の口を封じたのだとしか思えない。
 
 次に、幕僚長の地位にある者が持論を展開するのは文民統制(シビリアンコントロール)から逸脱した行為であるから解任したと言いう意見があるが、そういった連中はそもそも文民統制とは何かを解っていない。国民もまた文民統制とは何であるかをよく解っていないから、「彼の行動はシビリアンコントロールを逸脱しており、彼は大変危険な思想の持ち主である。これは戦前の軍国主義の復活である。」と誰かが声高に叫ぶと、「もう二度とあのような戦争はしたくない。あの戦争の全ては軍国主義が原因だ。軍国主義は絶対に復活させてはならない。」という呪縛に襲われ、簡単に同調してしまうのである。
 文民統制の正しい意味は、「最終的な軍事行動の判断を下す権利が文民にある」と言うことである。軍人は常に国の置かれたあらゆる状況を想定し、いかに国民を守るかを考え作戦を立て意見を述べる立場にある。なぜなら高度な軍事情勢の分析は専門家である軍人でなければ出来ないからである。その専門家である軍人の意見を参考にして最終的に政府(文民)が決断し、その決断に従って軍が行動する。これが文民統制(シビリアンコントロール)である。したがって、軍人である田母神氏が自分の考えを述べることは決して文民統制に違犯していない。文民統制とはあくまでも軍事行動に対して決断をする事であるから、常日頃に様々な意見を述べることは決して文民統制に違犯していない。過去に、「憲法第9条をなくすべきだ」と発言した自衛隊幹部もいたが何のおとがめも受けていない。文民統制違犯とは、政府の下した決断に反して、異なった行動を軍が取ったときに用いる言葉である。政府の意見を聞かずに軍事行動を起こすことも違犯であるが、政府の開戦命令に従わず戦わないことも文民統制違犯である。従って、彼の行為が文民統制違反だという主張はお門違いである。
 
 最後に、田母神解任事件が起きた途端に政府は、「村山談話」を踏み絵にして自衛隊幹部の思想を調査すると発表した。これこそが言論統制であり、思想信条の自由を保障している憲法に違犯する行為である。
 全国民を「村山談話」なる一つのイデオロギーによって縛り、これを批判すると「とんでもない危険分子である」と弾劾、弾圧する。これこそとても危険な思想であり、これを「全体主義」とよぶのではないか。
 全体主義という言葉はナチスドイツを批判する言葉として生まれたが、スターリン、毛沢東、金日成などが行う共産主義、社会主義等も全体主義である。全体主義とは特定政党が独裁し、一つのイデオロギーによって支配されている国家をいう。全体主義が生まれるときには善意を装い、政治に不満を持つ労働者階級等の貧困層を取り込む。彼らを煽動して故意に作った「国民の敵、大衆の敵」と対立抗争を起こさせる。その抗争によって大衆の憂さを晴らさせ、爽快感を味わわせるやり方で政府は支持を集め、一党独裁の道に進んでいくのが全体主義のやり口である。全体主義者が一旦権力を握ると自分たちに都合の悪いことに対しては先ず法律を作り、その法律に基づいて反対派を弾圧、粛清するのが特徴である。
 全体主義は決して軍事力によるクーデターによってのみ起こるのではなく、国民に主権者(国主)としての自覚がなく、主体的に物事を考えず、ただ個人の欲望を満たすことだけを考える民衆が大多数を占める国に起きやすい。ナチスドイツのように民衆が政治パフォーマンスに騙され、一つのイデオロギーに浮かれ、特定の政党が人民の人気を得て合法的に権力を掌握し、政敵を次から次ぎへと抹殺して一党独裁となる場合も多々ある。
 民衆に対して秘密警察を遣い密告を奨励し、人の心を縛って自由にものを言えなくし、結果一つのイデオロギーによって国民全体の意思を統一してそれに反対意見を言う者は粛清する。これが全体主義者の目的達成方法である。(粛清:独裁政党などが反対者を厳しく取り締まる事)
 ヒットラーも毛沢東もスターリンも彼ら全て軍人ではなく文民である。
 聞くとところによると、今回の事件による言論統制で自衛隊員は疑心暗鬼となり、いつ検閲が入り問題視されるか解らないので今まで書いたブログで思想に関するものは全て削除し、また今回の事件に関して皆口を閉ざし、自由に意見を言うことが出来ない雰囲気になっているという。
 今回の田母神解任事件を見ていると、日本は「全体主義体制」に成ってしまっているかのようである。全てのメディア、政治評論家、コメンテーターが田母神論文自体を読みもせず、きちんと検証することなしに、政府見解とされる「村山談話」に反すると、ヒステリックに追求している。
 「村山談話」は間違いなく偏ったイデオロギーである。その事はまた別の機会に触れるとするが、そのイデオロギーによって国民を拘束し、組織化し、民衆を洗脳して思いのままに操る。これこそが正に「全体主義国家」とよばれるものである。
 
国が正規の軍隊を持ち、有事には戦う意思を持つ。そのような国家が、日本人が嫌う所の「軍国主義」であるならば、世界中の国は軍国主義国家である。日本人は、軍国主義に過剰反応しすぎて、もっと危険な「全体主義」に陥ろうとしているのではないだろうか。
 日本を絶対にそのような国にしてはいけないと私は思う。以上

 

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